昭和46年頃から,我々宇部興産の機械部門は,ダイカストマシンの新しい方向性を探っていた。設計部門としてはいろいろな試みを行った。例えば,モータのロータにアルミニウム合金を鋳込むための竪型ダイカストマシンを造ったことがある。提携先のレークエリー社が残した図面を参考に設計し,東芝や三菱電機に納入したのだ。自転車の一体フレームを結合する特殊な竪型ダイカストマシンを設計および製作し,ブリヂストンサイクル(本社埼玉県上尾市)に納めたこともある。どちらも開発する上では興味深い製品だった。ただ,残念ながら需要が少なすぎて売り上げに貢献することはなかった。

 こうした状態から数年が経過し,高度経済成長も終わりに近づいた頃,トヨタ自動車の第4生産技術部から打診があった。同社でも高度経済成長が終息を迎えるとともに,設備の増産計画は一段落した。これで生産技術部門としては少し時間的な余裕ができる。この時間的な余裕を有意義なものとするために,同社から「何か変わったことをやりたい」という話が持ち掛けられたのだ。この言葉の意味は,もちろん,「これまでにない新しい技術を搭載した機械や設備を開発したい」ということだ。普通の企業は暇なときに不況を嘆き,早くそこから脱してほしいと祈るだけだが,優秀な企業は暇なときこそ大胆な技術開発に挑戦するのだ。

 時代は,ちょうどアルミホイールが市場に出回り始めた頃である。私は以前からアルミホイールには大きな期待を寄せていた。次のように考えていたからだ。アルミホイールはクルマ1台に対して4個も付く。予備のタイヤ分を計算に入れると,1台当たり5個も必要になるかもしれない。しかも,日本,米国,欧州の先進国を中心に生活水準がさらに高まり,富裕層が増えている。彼らが乗る高級車には,見栄えの良いアルミホイールが搭載されることが普通になるだろう,と。

 自動車の生産量は,そのうち頭打ちになるかもしれない。その時,日本と米国,欧州の3地域におけるクルマの生産量は,それぞれざっと1000万台。すなわち,合計で3000万台だ。このうち,少なくとも2割のクルマにアルミホイールが付くことになるだろう(注:ちなみに,現在は約4割のクルマにアルミホイールが付いている)。すると,アルミホイール搭載車は,3000万台×0.2=600万台。各車に予備を含めて5個のアルミホイールが必要になるとすると,600万台×5個=3000万個。このうち,20%を我々が造る大型ダイカストマシンで鋳造できたと仮定すると,アルミホイール600万個分の需要があるということになる。

 一方で,大型ダイカストマシンのサイクルタイムは約120秒で,この時間を基に機械1台当たりの年間の生産量を割り出すと,約12万個になる。従って,先の600万個の需要をまかなうには,600万個÷12万個=50台の大型ダイカストマシンが必要となる計算だ。我々としても,かなりの機械が売れるかもしれない。こう考えて,トヨタ自動車の第4生産技術部に対し,アルミホイールを鋳造する竪型ダイカストマシンを開発することを提案した。すると,トヨタ自動車もアルミホイールが普及することを見込んでいたのだろう,我々の提案をすぐに受け入れてくれた。

 だが,問題もあった。それまでの竪型ダイカストマシンの注湯の方法では,溶湯が途中で冷却凝固するという課題があったからだ。そこで,溶湯の冷却を抑えながら金型に注湯するために,スリーブをぶった切り,傾けて注湯することを考えついた。そして,これを金型の下面の入り口にドッキングさせて射出する方法を採ることにしたのだ。これが,アルミホイール向け1500t竪型ダイカストマシンの始まりである。

 この機械はトヨタ自動車の堤工場に10台納入された。その後,この技術は「スクイズキャスティング」と呼ぶ,強度の高いアルミ鋳造品を造る新しい鋳造方法として認められ,昭和56年(1981年)には機械振興協会賞を受賞することになった。販売台数は,宇部興産の関連会社であるユーモールドや,トヨタ自動車北海道,宇部興産から北米や欧州の顧客に輸出されたものを含めると,シングル換算で(後述の3型搭載のロータリ式は3台として)約50台が売れた。その後は,ホイール以外の多くの自動車部品の生産にも使われるようになり,今ではアルミ鍛造機に取って代わる勢いであることは喜ばしい限りだ。

 ただし,このダイカストマシンにも課題はあった。不良品対策が十分でない上,大型になってしまい,設備費が高くなるという弱点が残っていたからだ。それ以上にメリットが大きいから売れたのは事実だ。だが,いずれは改善しなければならないという思いを我々は抱いていた。