「生産対応不可能である!」

 この物語の主人公である鈴木孝は総合電気メーカー「霜月電機」の入社3年目のエンジニアである。彼は現在,所属する事業部の主力新商品である,小型・軽量のデジタルビデオカメラの開発にかかわっている。
 鈴木が担当していた新商品の,日本での生産立ち上げは無事終わった。しかし,今回の製品では米国向けの販売も日本向けと同程度の量を見込んでいる。米国向けの生産は,米国ミズーリ州の工場で担当することになっている。
 米国向け生産は,日本での生産から半年遅れの日程であり,鈴木は米国仕様の設計図面の出図を終わったところであった。

 数日後の朝,鈴木が出社すると,会ったこともない外国人から英文の電子メールが来ていた。どうやらミズーリ工場の購買部にいるMike Petersonという人物からのメールのようだ。鈴木は英語が得意な方ではないが,Mikeからのメールをプリントアウトし,辞書片手にその内容を確認した。どうやらこういう内容のようだ。

 「鈴木さんが設計出図した今度の新製品の躯体だが,サプライヤーのミズーリプラスチックス社から,設計変更が必要であるとの連絡をもらっている。それによれば,今回の躯体の形状が複雑なため,成形シミュレーションを行ってみたところ樹脂の流れに問題があり,不良品が多量に発生する可能性が高い。したがって一体成型ではなく,躯体を分割してほしい。この修正は製品生産には不可欠であり,もし修正できない場合には生産対応は不可能である。1次試作間近であり,今週いっぱいに設計変更出図をお願いしたい。設計変更依頼書は追ってメールで送付する」。
 メールの最後にMike Petersonの署名とともに,C.P.M.という文字が書いてあった。

 「えっ,…『もし修正できない場合には生産対応不可能である』…マジかよ?」

 メールのあて先は鈴木だけになっている。鈴木はあわてて先輩エンジニアの佐藤にそのメールを転送した。

 「佐藤さん,今メール送ったんですけど。Mike Petersonって人知っています? ミズーリ工場のProcurement Div.なんで購買の人だと思うんですけど」。

 「今読んでいる。Peterson? 知らないな。アメリカ人って主張だけははっきりしているから,気をつけろよ。そもそも今から設計変更なんて無理だよ。間に合うわけがない。それに分割って,どこから分割するんだよ。分割したら合わせ面を隠すための部品が新しく必要になってくるし,そもそもマーケティングが許さないよ。また言われるぜ。質感が損なわれますって。メールで断っておけよ」。

「分かりました」。

 鈴木はまず日本語で返信メールを下書きした。佐藤が挙げていた理由数項目に加えて,日本のサプライヤーでは対応している,どこか対応できるサプライヤーを探してほしい,という内容を付け加えた。

 さて,英語に訳さなくては。
 「やれやれ,やっぱり最近のエンジニアは英語もできなきゃダメだな」。鈴木はそうつぶやきながら,どうにかこうにか英語メールを完成させて送信した。