「権兵衛が種撒きゃカラスがほじくる」

 その結果米国が発見した日本の力とは,カメラや自動車といったコンセプトをもとに,芸術的といってもよいほどに品質を高め,しかも量産する能力であった。それと共に米国は重大なあることに気がつく。日本製品が強いとはいっても,よく考えてみたらそれらはすべて米国で開発されたものではないか,ということだ。水野氏はこう語る。「『権兵衛が種撒きゃカラスがほじくる』といった諺が米国にあるかどうか知りませんが,米国が権兵衛で一生懸命種を撒いても,日本というカラスがやってきて突いてみんな持っていってしまう。こんなバカな話があるか,と米国は危機感を持ったのです」。

 水野氏は続ける。「そこで,彼らが考えたのが,ソフト,知的財産,考え方というものを日本が得意なハードの上位機構として位置づけようというコンセプト,つまり『情報化社会』というものです」。その情報化社会の本質とは,常に速いスピードで変化するため,永遠にキャッチアップできない社会だという。

「一体何を学んで帰っていくのだろうか」

 そして水野氏は,「私も含めて」と反省を込めて語る。「残念なことに,キャッチアップモデルに慣れ親しんだ日本人は,そのアンチテーゼとして生み出された情報化社会をもキャッチアップしようとしてしまったのです」。当時,スタンフォード大学の友人たちに水野氏はこうからかわれたという。「日本からたくさんの視察団がシリコンバレーにやってきて,一生懸命ノートをとっていくけれども,かれらは一体何を学んで帰っていくのだろうか」。

 こうして,前方は「情報化社会」という大きな壁に阻まれ,後方からは新興国がキャッチアップモデルを日本に学んで,安い労働力を武器に激しく追い上げてきた。「前と後ろにはさまれてだんだん立場が狭くなって,とうとうやることがなくなったというのが日本の現状ではないか」という。

 こうした厳しい状況を打破するには,もちろん,キャッチアップモデルを脱却してイノベーションを起こさなければならない,ということになる。しかし,水野氏の話を聞いて考えさせられたのは,「日本の大企業は,頭ではキャッチアップ時代は終わったと分かっていても,体は少しも分かっていない」という指摘である。大企業といっても最初から大企業だったわけでなく,中小企業から出発して,大企業になって,さらに,自らをエスタブリッシュと自認するようになる。大企業になる過程で,「あるカテゴリーをつくり,その自らのカテゴリーに安住して動かなくなる。それが最大の問題だ」と水野氏は見る。