「理屈っぽいんだから理系の人は」

 誰もが成し遂げられなかった快挙があって、そのプロセスはまさにドラマ。それをNHKのような大メディアが取り上げて権威付けする。それに対して賛美の声が上がり、それに便乗して何かをしたい人が褒め上げ、それが信じられて多くのファンを生んでいく。こうした口コミによる絶大な支持が、一般の人の関心を煽る。けれど、商品数は限られており入手は困難。それでさらに関心が煽られる。世のマーケッタの人たちが知れば「そう、これこれ、これがやりたいわけよ」と膝を打ちそうな、一つの「ヒットのパターン」である。

 うちの奥さんなんかも誰からか「あれはスゴいわよ」とか聞かされると、すぐに買いそうである。入手困難となれば「ネットとかで探してよ、得意でしょそういうの」とかいうありがたいご用命を受けることになるだろう。それが面倒くさいときは「君ねぇ、風評などというものをそのまま信じてはいかんのだよ」などと、妻に説教したりすることもある。するとしばしば「いいじゃない、信じたい人には信じさせておけば。ほんとに理屈っぽいんだから理系の人は」みたいなことを言われたり、いかにもそう言いたそうな目で見られたりする。

 いやいや、そうはいかないと、理屈っぽい、理系であるところの私は思う。宮城谷昌光氏は彼の小説の中で「軽蔑のなかには発見はない」と書かれていたが、同様に「妄信のなかにも発見はない」と思うからだ。まあ、妻からすれば「別に発見なんかなくてもいいじゃん、何も困らないし」ということになるのだろうが。

恋愛は化学反応である

 いやいや、理系である私にとって、発見は無上のものである。だから、それを疎外するものは排除しなければならない。軽蔑や妄信は、その典型例である。それをもっと広くとらえれば「感情」ということであろう。ときとして、感情が思考を停止させるのである。

 そのことを学んだのは、大学に入ってすぐのことだった。応用化学を専攻したから化学の授業だらけなのだが、そんな講義の中である教授がこんな話を始めた。この世に起きるほとんどのことに化学反応は関与しているというのである。その挙句に、こう断言した。「君たちが美しい女性を見て恋愛感情を抱いてしまう。それだって、脳の中でそのような化学反応が起きているだけのことですから」。