ちなみに、オバマ大統領は上院議員時代から温暖化問題には関心が深く、同僚議員が出した規制法案にも賛成議員として名を連ねるほどであった。民主党の予備選挙から共和党のマケイン候補(実は彼の方こそ筋金入りの環境保護派なのだが)と闘った本選挙にかけて、一貫して厳しい温暖化対策を唱えていたのもオバマである。そんな彼だからこそ、一挙に「新しい政策」が打てたのであろう。

 でも、この政策転換が好意をもって受け入れられたのは、彼の力量なのだろうか。実はそうではないと思う。ブッシュの時代から、米国自体は「ブッシュを除き」すっかりグリーンになっていたのである。米国の世論も、州や市もすでに変わっていた。規制を受ける側のビジネス界ですら、本流ではすでに舵を切っていた。米国に足りなかったのは、唯一「政治の意思」の確立だけだったのである。その唯一欠けていた「政治の意思」を確立したのがオバマだというわけだ。

 彼の狙いは、米国によるリーダーシップの回復と確立であろう。ブッシュが自ら手放した米国のシーダーシップを奪還すべく乗り出したのである。経済界はいち早く温暖化対策がもたらすメガトレンドに気付き、環境ビジネスでの世界のリーダーシップを目指し動き始めた。べンチャーキャピタルを代表として、資金の大きな流れもでき始めている。その米国が満を持して表舞台に乗り出したのである。これから米国は、この分野で自国の利益を前面に押し立てて、ポスト京都の国際交渉でも、ビジネス界でも暴れ回ることになるだろう。

 余談だが、日本での温暖化政策の議論では「米国を困らせるようなことはやめておけ、仮に日本にとって有利でも米国が付いてこられない政策は打つな」という空気があったようだ。だが、この米国の変身を受けて、そんな主張をしてきた人に限って、風向きが変わるとこんなことを言い出すに違いない。「米国はあんなことを始めたのに、日本はなぜ動かないのだ」と。こっけいな話だがデジャブである。

「第1号」はサルコジ大統領

 筆者が温暖化政策とニュー・ディ―ルを結びつけた本格的な政策を見た最初は、2007年10月のサルコジ仏大統領が示した「環境ニュー・ディ―ル」だった。大統領に当選したばかりのサルコジ大統領はその年の夏前、国内の各界から人を集めて徹底的に議論した。そこから生まれたのが環境ニュー・ディ―ルだが、その中で彼はこんなことを言っている。「仏にもう新しい飛行場は要らない。もっと欲しいのは高速鉄道網だ。仏にはもう新しいハイウェイは要らない。もっと欲しいのは都市の中の自転車道だ」と。