「本当のことを書く」ということの難しさを若き日の自分に知らしめてくれた、忘れがたい記事がある。日経エレクトロニクスの1996年4月22日号に掲載された書評記事で、著者は長く日経エレクトロニクスの編集長を務められた西村吉雄氏(執筆当時は編集委員)である。いきなり記事の冒頭で新刊の『転換期の半導体・液晶産業』を評し、西村氏はこう書く。

 実証的な本である。本当のことが書いてある。著者の誇りもおそらくそこにあるだろう。しかし、著者の悲哀もまたそこにある。評者も著者の悲哀を少なからず共有する。

 そして最後に、こう結ぶ。

 予測には「スローガン」と「実業の指針」という二つの側面がある、と著者は言う。事実に基づく正確な予測を「実業の方針」としようとする人は残念ながら多くない。「分析はいらない。うそでもいいから元気の出ることを書いてくれ」。一度ならず評者はそう言われたことがある。明らかに間違っている新聞記事を喜ぶ関係者も少なくない。「とにかく載りさえすれば予算はとりやすくなる」とうそぶく。正確な予測を「暗い」と一蹴された経験を、著者は「おわりに」に記す。

 相手の自覚さえしていない期待を探り、相手の「欲しい答え」をだしてあげるのが情報生産者の仕事であり、「正しい答え」なんか出しても商品にならないと上野千鶴子氏は言う。つくづく共感する。

 それでも評者は「無知に勇気づけられ、あいまいな言葉に鼓舞され」ることを好まない。20歳ほど年少の著者が同じ好みであることを知って、評者はおおいに勇気づけられた。

 バラエティー仕掛けの報道番組ではないけれど、読者が読みたい「売れる商品」としての情報とは、メディアに長く身を置くものの経験からいえば、多くの場合「本当のこと」ではない、との指摘であろう。「売れる商品」とは読者が求めるもので、さらに言えばマスコミと呼ばれる営利組織が求めるものでもある。それに背を向けて、本当だけれども読者にも自分の会社にも求められないものを生み出すことは、表現することを生業とする者として相当に怖い。