「どうやって造るか知ってるか?」

 鈴木は,図面を持って別棟の購買部へ向かう途中,やや落ち着きを取り戻し,いろいろと思いを巡らせた。サプライヤーの営業や技術の人たちと直接打ち合わせをするのは今までも当たり前だったし,それで購買から文句を言われたことなんか一度もない。

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 「なぜ田中という人はあんなに怒っているのだろう。佐藤さんも佐藤さんだ。いろいろうるさい人はどこの部署にだっている。一言『田中さんには気をつけろ!』と耳打ちしておいてくれたっていいのに。

 まあ,この手の人はたいてい,文句を言いたいだけだ。とりあえず謝っておけば,この先の仕事もスムーズに進むだろう」。

 購買部の田中は40代半ば位に思えた。まだ課長になっていないところから典型的な現場人間だろうと想像していたが,正に絵に描いたような「職人」というのが鈴木の第一印象であった。

「田中さん,鈴木です。今回はいろいろとご迷惑をおかけしてすみませんでした」。
「迷惑?迷惑なんてかかっていない。最近の若手は要領だけよくて謝ればそれで済むと思っている。まあ謝りもしない奴も増えているけどな…」。 それよりも,鈴木さんはサプライヤー選定の権限が購買にあることを知っているか」?
「…」
「Yes or No」?
「知りませんでした」。

怒られることを覚悟しながら鈴木は正直に答えた。だが,田中は意外にも怒らなかった。

「ならしょうがない。購買規定がここにある。これをよく読んでおけ」!

田中は続ける。
「ところで,何で今回の部品を黒須化成にしようとしたんだ」?
「たまたまゲストエンジニアで黒須化成の安部さんと知り合いだったからです。それに…」
「それに」?
「まだサプライヤーを決めたわけではなくて,単に設計打ち合わせしたかっただけですし」。
「…ちょっと見せてみろ」。
「えっ。何をですか」?
「図面に決まっているだろう」。

 鈴木は戸惑いながら田中に未完成の図面を見せる。田中は一人でぼそぼそ言いながら図面を見ている。鈴木は購買部の人間が図面を読めるのを知らなかった。

 しばらくして,田中は顔を上げてこう言い放った。

「鈴木さん,この部品どうやって造るか知っているのか?」
「…知りません」
「だろうな。この図面通りには造れない。アンダーカットが10カ所もある。そもそもどこで型合わせするかも考えていない」。
「アンダーカット? 型合わせ」?
「いいか。これはうちの主力商品の開発だ。月産想定7000台。材質はアクリル。これだけの大物躯体でこの数量,意匠部品とくれば,成形方法は射出成形以外考えられない。成形機は多分600トンくらいだ」。

 鈴木は大学では電子工学を専攻していたため,樹脂成形のやり方などの知識は全くなかった。

「樹脂の成型って,溶かした原料を型でつぶしたりして造るんじゃないんですか」?

 田中は一瞬あっけにとられた顔をしたが,すぐに冷静な表情に戻り,こう言った。

「明日,夕方18時に薬師合成に行ってこい。ここからだと車で10分だ。お前のところの佐藤だっけ,彼も薬師合成の工場へ勉強しに行かせたことがある。うちから近いし,そこの工場でうちの製品の成形もやっているから,基本を勉強するにはうってつけだ。樹脂成形の基本を教えてもらえ。営業部長の板東さんには話をつけておく。百聞は一見にしかずだ。話は以上。帰っていいぞ」。