驚いたのは,当時既に米国の製造業の凋落の兆しを感じたことだ。我々の機械の米国におけるアフターサービスを依頼する候補として,我々は当時有名なダイカストマシンメーカーであった米レスター社を考えていた。ところが,同社に行ってみて,販売しているダイカストマシンを見て唖然(あぜん)とした。我々が10年以上前に勉強させてもらったものから,全く進歩していない古色蒼然とした機械だったからだ。

 ビッグスリーがクルマを安く造る上で,何かと口うるさく賃金も高いUAW(全米自動車労働組合)の勢力が強い米国内で生産するという選択は難しい。それなら,賃金の安い国で生産すればよいのだとばかりに,ビッグスリーは機械の生産効率を高めることをせず,従来のままの機械を低賃金国の工場に設置する方法を採った。これにより,米国の機械メーカーは設計変更や改善などする必要がなく,設計者の仕事はなくなった。MBA(経営学修士)のような学位を持つものの,短期的な視野の経営者としては,物(技術)をよく知っている設計者をセールス・エンジニアとして活用する方が,短期的な業績は良くなるというわけだ。

 こうした背景から,気がついてみると,我々のような日本の機械メーカーに技術力で追い抜かれ,かつて我々が羨望の眼差しで見ていた,経験豊富で鍛え抜かれた優秀な設計者は,米国の機械メーカーから姿を消していた。その結果,米国メーカーの機械は改善が一向に進まず,我々に全く対抗できずにバタバタとつぶれていった。

 そして,我々のダイカストマシンはフォードに続き,GM社にも納入されることが決まった。その後,ドイツのフォルクスワーゲン社も購入してくれた。これらの実績は,さらに射出成形機の受注にもつながっていった。

 我々の機械以外でも,例えば,ボディ成形のプレス機が米国メーカーから小松製作所の製品などに変わっていった。1985年,シカゴにあったバーソン社の機械がGM社に納入された。我々が主要部品の製作を手伝った機械だ。私の知っている限り,これが米国メーカーが造った自動車向け主要機械の最後の製品である。それも,GM社が当時「バイ・アメリカン(Buy American)」を主唱していたという背景があってのものだ。

 そのときから既に23年以上の月日が経過した。今や米国は自動車向けの機械メーカーだけではなく,その頂点に君臨していた自動車メーカーすらも風前の灯火にある。だが,こうした米国の製造業の凋落は,現在の日本にとって決して対岸の火事ではない。

 私が関係した乗用車のアルミホイールでも技術進歩は少なく,日本の年間総需要である2200万個の中で実に600万個が賃金の安い発展途上国で生産され,日本に輸入されている。これと同じような事例は枚挙にいとまがない。

 これでは,日本の実際の生産現場において,改善に対応できる若い技術者の育成は望むべくもない。今後5~10年もすれば,発展途上国メーカーに追い付かれる時がくる。その時に,有能な技術者のいない日本メーカーは彼らに太刀打ちできず,敗退するであろうことは火を見るよりも明らかだ。かつて仰ぎ見た米国メーカーが,日本メーカーとの競争に敗れて消えていった。その米国メーカーの姿が,私には今の日本メーカーに重なって見える。

 米国発の金融危機の影響を受け,あのトヨタでさえ,2008年度の連結決算における営業利益の見込みを1兆円も下方修正すると発表した。だが,同社にとって本当の危機は足下の金融危機などではなく,トヨタのトップが口を酸っぱくして社内に発し続けているという「慢心と傲慢」にあるのではないか。慢心と傲慢こそ,ビッグスリーが没落を余儀なくされた真の原因だからだ。

 日本の製造業がビッグスリーの没落を教訓とし,米国の製造業の失敗の轍を踏むことなく,今後も日本国民の生活を守れるように願っている。