大変な投資をして、血の滲むような思いで開発競争を勝ち抜いた技術の結晶なのに、例外なく売価は急降下カーブを描いて急落します。DVDプレーヤも、アニメソフト1枚の値段より安くなるという体たらくです。「大容量」という単機能の価値は、投じた努力の割には信じられないほど驚くべき速さで目減りするのです。DRAM、フラッシュもしかり。

 少し見方を変えてみましょう。上述のようなハイテク新機能は、ユーザーが使い慣れてくるにつれて軽薄短小化を求められるという運命も甘受しなくてはなりません。当初はちやほやされる便利で有難い機能であっても、結局は必要な時だけその機能を提供すればよくって、普段は消えていて下さいと言わんばかりのプレッシャーがかかるのです。ディスプレイも厚み50μmまでくればもう消え入る寸前でしょうか。純粋な画像提供手段としてみれば、普段は壁であって、観たい時だけ画面になってくれればそれでよしです。忍者屋敷みたいなイメージとでもいいましょうか。

 食器洗い機や掃除機などのように、小型化といってもリアルなモノを扱うがゆえに物理的にサイズ限界が明らかなものもあります。その場合には壁の奥の方にめり込ませたビルトインという手が使われます。「どこでもドア」みたいに、ドアを開ければ機能が出現します。掃除機ですら、各部屋に吸引口が配設されていてホースだけつなげばよいビルトインなマンションもあるくらいです。

 据え置き機器だけでなく、携帯機器にも同様の力は作用します。ウエアラブル機器という分野が期待されていますが、ポケットやバッグ類にビルトインする「モバイル」では飽き足らず、ヒトの身体にビルトインせよというのがウエアラブル機器のゴールです。普段は鬼太郎の髪の中に隠れていて、必要な時にはピョコっと顔を出す「目玉オヤジ」がその理想形といえるでしょう。

 昔話をすれば、我が家にあった自慢のテレビはマホガニー風の重厚な木目調フレームに支えられ、調度家具として鎮座していました。仏壇のような存在感があったものです。トランジスタラジオや一眼レフカメラが立派な本革ケースを身に纏う様は、襟を正した礼服姿のようなVIPの風格がありました。今でも大事な実印とか宝石類は立派なケースに収まっています。存在感デザインは形状だけではありません。ポストだって公衆電話機だって、昔は真っ赤なカラーリングでしたが、黄色、緑色とまるで信号機の順番のように主張を減らしつつあります。銀座界隈ではポストも信号機のポールの色のねずみ色に成り果てています。公衆インフラもカモフラージュして周囲に溶け込む「環境調和色」の時代なのだということです。