一見さんとお馴染みさん

 店と顧客の関係ということに関しては、京都には「一見さん(利用実績も紹介もない顧客)はお断り」という有名な風習がある。一見さんは上げてももらえない。けれどもお馴染みさんになれば、逆にとても大切にされる。その心地よさについつい訪問の度を増やしていくことになるのだ。東京だと逆に、初めてのお客さんは「お試し価格」とかで優遇され、昔からの顧客は「釣った魚に餌は不要」とばかりに何の恩恵も与えられないなどということすら、あったりするのだが。

 別に一見さんお断りの高級店だけでなく、日常的な風習として京都は「なじみの店を贔屓(ひいき)にする」という傾向が強い土地であるような気がする。京都の知人などに「昼メシに行きたいんだけど、このへんで何かない」とか聞くと、「あ、そこの角によく行くうどん屋がある」とか言う。すかさず「うまいの?」と訊ねると「別に」と。行くと本当に普通で、値段も特に安くもない。東京でよく見かけるチェーン店とかで食べた方がよほど安くてうまい。それでも、けっこうお客さんは入っており、面白くもなさそうな顔で丼を抱えている。

 東京でも昔はそんな店がたくさんあったけど、いつの間にかチェーン店の進出などで淘汰されてしまった。それが京都にはまだまだ残っており、逆に「うまくて早くて安い」であろうチェーン店は、東京の感覚からすればよほど少ない。

 かといって、京都の人が費用対効果に無頓着ということでもなさそうだ。三条寺町あたりに三嶋亭という明治6年創業という老舗のスキヤキ店兼精肉店がある。たまたま知人を訪ねた日が月に一度の特売日だったらしく「切り落としが安いから買って帰れ」との指示である。知人宅ではその日にまとめ買いして佃煮にしておくのだとか。これを1カ月食べ続け、次の特売日を待つ。なるほどと店に行ってみるとものすごい列で、みなキロ単位で買っていく。「うまくて安い」は大好きなのだ。

 ちなみに、某大手精肉会社の社長さんにお聞きした話では、安い肉ほど差がつくのだという。「いい肉というのは、誰が切っても同じようにうまい。けれど、こま切れとか切り落としとかの安い肉は、それを作る職人の腕で格段の差がつく」ものらしい。どの肉をどう組み合わせてどう切るかというところが難しいのだとか。そうだとすれば、地元の顧客から愛され続ける三嶋亭の切り落としというのは、相当なものなのかもしれない。「味覚が子供」と家人に揶揄される私には、あまりよくわからないことではあるが。