第1次/第2次石油ショックと産業

 日本の産業が,第1次石油ショックで省エネに向かって走り出したと述べたが,必ずしもすべての産業がそのような方向に向かった訳ではない。

 省エネに向かったのは,まず家電業界であった。特に,家庭内の消費電力の大物であった,エアコン,冷蔵庫の省エネ性能の向上がターゲットになった。これらヒートポンプを使う技術は,1973年から10年間程度で効率を2倍に上昇させている。インバータの搭載も,この期間のほぼ最終段階で実現されている。

 一方,自動車の省エネ,すなわち燃費の向上については,この期間には何ら進展はなかった。その理由は簡単で,当時,自動車の最大の問題点は燃費ではなくて,有害排出ガスだったからである。

 アメリカのマスキー法に影響された形で1976年に51年規制が,1978年に53年規制が実施され,それまでなんの排ガス対策がなかった日本の自動車にも,触媒などが搭載されるようになった。そんな対応をするのがやっとで,むしろ,若干燃費が悪くなっても,排出ガスをよりクリーンにすることが求められていた時代であった。

 一方,この時期から,世界の航空機産業は,省エネ技術の開発に突き進んでいる。石油ショックの前の1969年にコンコルドが初飛行しているが,この時代の最大の乗客サービスは「夢の超音速」といった概念であったようだ。また,1969年にはもう一つの航空機,ボーイング747も初飛行をしている。747は,追い風が強くてゆっくり飛んでもよいときでも,速く飛ばないと不安定で,燃費を稼ぐことができない航空機だった。さらに,機首を持ち上げたような形で飛ぶが,これが空気抵抗を高くしているようだ。

 第1次石油ショックの前に生まれたこれらの大型航空機に対して,石油ショックの直後の1980年代に開発された777あたりになると,燃費向上を最大の眼目として機体そのものが設計されている。その極限が,現在の787であり,A380である。

 ところで,これらの航空機に搭載されているジェットエンジンには,バイパス比といものがあるのをご存じだろうか。ジェットエンジンの燃焼室を通って後方に排出される空気量と,ジェットエンジンの周辺を通って,ファンによって後方に排出される空気量の比である。詳しくは,日経エコロミーに書いた記事を参照していただきたいが,古いジェットエンジンだとバイパス比は2ぐらいであった。それが,最新のジェットエンジンでは10ぐらいまで向上しており,言い換えると,もはやジェットエンジンというよりも,カバーのついたプロペラエンジンなのである。そんな構造にする理由も,ひたすら燃費を向上させたいからである。