あらゆるものは作り物である。五輪で活躍して人々を感動させた選手は100%真実を見せていたわけではない。彼や彼女は五輪選手という大役を見事に演じたから人々を感動させたのであって、日常には日常の役があるはずだ。

感動的な嘘もある

 天藤真という探偵小説家がいた。筆者は天藤氏の愛読者であり、ほぼ全作品を読んでいる。随分前に亡くなっているが、代表作『大誘拐』が映画になって話題を呼んだことがあり、映画を記憶されている方もあるだろう。天藤氏はユーモアがある探偵小説を書いた、と評されることが多い。確かにそうなのだが、その一方で、人間の悪意や残酷さを描いた作品もかなりある。人間の業の深さを熟知していたからこそ、ユーモア溢れる小説を書けたと言える。

 探偵小説なので筋を紹介できないが、『大誘拐』は嘘に関する話である。最後の最後になって、主人公がなぜ、嘘を付いたか、その理由が明らかにされる。また、天藤氏には、登場人物数十人が手間暇をかけて壮大な嘘を付く中編がある。題名を書くと、これから読む読者に種明かしをしてしまうことになるので、伏せておく。その作品の壮大な「虚偽」は、北京五輪の演出どころではなく、法律違反すれすれのものである。だが、作品に登場する人物がつぶやくように、その嘘は感動的である。狡猾な真犯人を自供に追い込むための嘘だったからだ。完全犯罪をやってのけたと、ほくそ笑んでいた真犯人は「善意の虚偽」を突きつけられると、立ち上がって「嘘だ」と叫ぶ。真犯人の言う通りだったのだが、この一撃で犯人は自供せざるを得なくなる。

 真実に接して感動することはあるが、虚偽に接して感動することもある。逆に、悪意を持った人物が苦い真実を暴露し、関係者を奈落に突き落とすこともあれば、善意の虚偽によって人が救われることもある。