ここまで思いをめぐらせてきて、先日聞いた友人の言葉が、やっと腑に落ちた。彼は大手家電メーカーの社内ベンチャー制度を利用して会社を設立、経営していたが、業績不振で結局は会社を清算し、現在はその大手メーカーを離れて自身の会社を設立、経営している。その彼が「人には社長と社長以外の2種類しかない」などと禅問答のようなことをいう。「なにそれ?」と問いただしてみると、「要するにベンチャー企業の創業社長というのは、それほど一般会社員とは違う境遇に置かれた人間なのだ」ということのようだ。

 こんなこともあったらしい。夜中にはっと目覚めると、目の前に隣に寝ているはずの奥さんの顔がある。あまりに苦しげなので思わず揺り起したのだという。そういわれて気付くと、自分で自分の首を絞めていたのだと。業績という問題が、それだけ自身に重く圧し掛かっていたということだろう。どう見ても温厚で楽天的としかみえない彼をそこまで追い詰める重圧たるや、確かに一般社員の比ではないのかもしれない。

失敗者の行方

 でも、その痛みのなかで彼は学んだようだ。新たに設立した会社は順調のようで、言葉の端々には余裕のようなものすら漂わせつつこう言った。

 「一度は失敗しなきゃダメだね。アメリカの投資会社なんかに聞いてみると、失敗体験は極めて重要な投資の要件だっていうよ。一度失敗したことのある人なら投資しても大丈夫だろうって彼らは判断するんだ」

 失敗という痛みの中で学ぶ。そのことの意味と価値を重く受け止めているのがアメリカの投資会社ということらしい。

 ところが、友人などから愚痴でよく聞く日本の現状は「一度失敗したら左遷されておしまい」とか「敗者復活のない社会」といった、先の例とは逆の話ばかり。失敗者の評価はよほど低いようだ。その結果として「誰もリスクをとらなくなって、長期低落路線をまっしぐら」などという尾ひれまでつく。

 そうだとしたら、いかがなものか。失敗自慢なら負けない自信がある自分としては、そんな状況をとても残念に思うのである。失敗しつつも本当に学べたという自信はないので、あまり大きな声で異を唱えるわけにもいかないのだけれど。