何が足りないのだろうか。「そもそもセンスがなかったんじゃない?」などと指摘をする方もいらっしゃるかもしれない。けど、それは違うような気がする。そもそも、古美術商は店主が代々世襲で務めている例が多い。みんな生まれつきセンスがいいわけでもないだろうが、それなりにやっているようだ。で、却下。「勉強が足りないんだよ」という指摘もあるだろうが、私の見る限り、彼は元来まじめな性格で、触れるだけでなく本などもよく読み知識を蓄えようとしていた。勉強量の問題ではなさそうだ。そもそも、プロの美術商がよく口にするセリフに「学者さんの目は甘いから」というものがある。勉強のプロである学者でさえ、商売のプロから言わせれば鑑識眼がイマイチという。

 その差って何なんだろう。そう考えていて思い当たったのは、学者は「見る人触る人ではあるけど買う人ではない」ということだ。学者と呼ばれる方の中には美術館や大学の所蔵品を購入する役割を担っている人もいるだろう。その場合は買うということだろうが、自分の懐はいたまない。これに対して古美術商やコレクターは、身銭をもって買う人である。この、自らリスクを負って買うということが、鑑識眼を作り上げるのではないか。

お宝のはずだったのに

 ただ、買うだけではダメなのである、たぶん。というのは、こんな例があるからだ。

 母の知り合いで、小さな建設会社を創業し長く社長を務めていた方がいる。彼は後を息子に譲り今は楽隠居の身分となっているが、仕事の方では相当なやり手で、かなり羽振りのいい時期があったらしい。その儲けを、彼は趣味の骨董品収集につぎ込んだ。その膨大なコレクションが今でも自慢なのだが、そのような趣味のない息子たち家族からすれば、骨董品の山は家をわがもの顔で占領する迷惑な存在でしかない。すったもんだの挙句、大コレクションの大部分を処分することに決めたのだという。