以前に、「技術力には自信があるんだけど、どうもカネ儲けがヘタでねぇ」という、実に多くのメーカー関係者が口にするセリフについて取り上げ、前半部分に関して「根拠のない自信では」と疑っているのだ、ということを書かせていただいた。過去の取材経験からいえば、「自信がある」と大威張りなのに、突っ込んで聞いてみると他社や他分野の技術について意識して勉強したこともないし、自身が保有している技術の価値や優位性について真剣に考えてみたこともないという笑えるケースが、笑えないほど多い。ここでいう「技術力」が「製品」である場合もあるけれど。

 これも結局は、鑑識眼の欠如ということなのではと思うのである。「技術開発」や「製品開発」という作業は実に面白い。これは私がメーカーの研究所に在籍していた時代に全身で感じたことである。もし実家が大地主で生活に何の不安もないのなら、無給でもいいから一生やり続けたいものだと願ったりもした。けれど、そこに「スリルと興奮」的な面白さを感じるということと、「技術の本質について深く洞察する」「他社の技術レベルについて徹底分析する」といった作業にのめり込むということは、やはりイコールではないのだろう。

 前者は大好きだけど後者はイマイチという人が「自信あり」と胸を張る状況は、「ライバルは魯山人」と無邪気に言ってしまうことと相当に近いように思う。それが趣味ではなくて社運を賭けたプロジェクトだったりすると、よほど強力な神のご加護でもない限り、その結末は相当に悲惨なものになるはずだ。

勉強だけでは足りないこと

 で、鑑識眼というもののことである。先日も知り合いに、「どうしたら目利きになれるんでしょうねぇ」と聞かれた。彼は数年間、修行のつもりである古美術商のもとで働いてきたのだが、どうも鑑識眼が育たないのだという。彼はそれを専門とする店で、1日の大半の時間をかけ膨大な数の作品に触れてきた。けれど、まだ目利きと呼ばれるレベルには到底達し得ないのだと。作品に触れるということは、鑑識眼をつくるための基本中の基本である。けれど、それだけではダメだということなのだろう。