確かに陶芸というのは、やってみるとかなり面白いものらしい。以前に、玩具メーカーのタカラトミーが「ろくろ倶楽部」なる陶芸入門セットを売り出し、オトナの間でちょっとしたブームになっているなどというニュースを読んだ。電動ロクロ、粘土、ヘラなどの道具類一式で、市場価格は1万円弱。粘土を成形して乾燥、家庭のオーブンで焼けば、簡単に陶器ができ上がる。発売は2006年秋だが、今でもちゃんと販売されているから根強い人気があるのだろう。これですっかりハマってしまい、陶芸教室に通うようになったなどという人も少なからずいるらしい。

 私の知り合いにも、大学時代に陶芸サークルに入っていたなどという変人や、若いのに陶芸家を目指して制作にいそしんでいる猛者がいる。私も古今の陶磁器類を愛すること一方ならぬ人間ではあるが、専ら鑑賞し使うばかりで「自ら作ることなど畏れ多くてとてもとても」と考えていた。なので、陶芸ができるというだけで尊敬してしまう。その尊敬の延長線として、無意識に「陶芸ができるということは、鑑識眼もすごいのだろう」と、ある時期までは思い込んでいた。

 それが誤りであることを、いろいろな場面で学んだ。陶器の作製方法に関する豊富な知識をもつ者が、必ずしも鑑賞に関わる知見を備えていないということを知ったのである。「プロを目指している」という方から、「仲間内の個展などには顔を出すが、美術館に収蔵されている歴史的名品、近世に活躍した名匠の作品など、ほとんど目にしたことがない」などという衝撃発言も聞かされたことがある。そしてやっと悟った。陶器が好きということと陶芸が好きということは違うのだと。

そもそもは鑑賞者だった

 先の出演者からライバルと名指しされた魯山人に関して言えば、彼は陶器好きが高じて陶芸家になるという、出演者とはまったく違う道をたどっていた。彼は実にセンスのいい古陶磁コレクターであり、料亭の共同経営者兼料理人として陶磁器のヘビーユーザーだったのである。けれど、彼の優れた鑑識眼からすれば、現在作られている多くの食器類は決して満足できるレベルのものではない。そこで自ら作ることに決める。かといって、彼に陶芸の技量があるわけではない。だから、技量を備えた多くの職人たちを使って自らはアートディレクター的なポジションに立ち、要所のみ自ら手を下して作品を量産した。