日曜日の昼間に家で食事をしていると、人気鑑定番組の再放送が流れてきた。今回の依頼者は、退職後に趣味で始めた陶芸にはまり、ついには自宅に立派な工房を構え日々制作にいそしんでいるのだという。完成した作品数は数千点にのぼるとのことで、流れた映像をみると、なるほど作品が収められているとおぼしき立派な桐箱が山のように積みあがっている。ライバルは近世陶芸界の巨人、北大路魯山人だという。

 依頼者は、選び抜いた最高の自信作を持参されていた。司会者は当然のように、鑑定士の中島誠之助に論評を求める。彼は一瞬困ったような顔をしたように見えたが、そこはさすがにプロで「味わいはともかく、技量は大したものだ」と無難に切り抜けた。私も映像でその作品をみたが、確かに微妙なものであった。

 ご本人はすごく純朴そうな方だし、個人が趣味でやっていることだからとやかく言う筋合いのものではない。ただ、現象として「なんだかよくあるパターンだなぁ」と思う。そのパターンが趣味ではなく仕事の領域で展開されてしまうと、それはそれで厄介なことになるのではなどと、いらぬ心配もしてみたりするのである。偶然できてしまった畑違いの商品とかに社長が惚れ込んでしまい、「これに社運を賭ける」とか大号令をかけ社員を道連れに没落への道をまっしぐら・・・。そんな話も何度か聞いたことがあるし。

作れても評価できない

 そんなイケイケ社長が暴走の挙句に自爆してしまった事例を並べてみると、自己評価能力に問題があるケースが多い。先の依頼人が言った「魯山人がライバル」というのは「ウケ狙いの大風呂敷」なんだろうけど、仮に本人が大真面目だったとするならば、その根っこにあるのも同じだろう。ではなぜそうなってしまうのか。この例でいうならば、「作業としての陶芸というものに面白さを感じ、本格的に取り組むようになった」ということが根源にあるのではないかと思う。