古代ギリシャに由来する西洋的な価値観における知性とは、第三者的態度で現象を「観ること」「理論化すること」。つまりバーチャルな方に圧倒的な重心が置かれており、技術は理論のしもべに過ぎません。当然の帰結として真理を追究する研究者の社会的ステータスは技術者より圧倒的に高く尊敬されます。理論家の権威が断然高いのが欧州文化の根幹、これに比べると西洋の若い国アメリカは実践主義であるのが特徴でしたが、日本ではそもそも両者の区別すらあいまいという根本的な違いがあります。

 専門の素粒子理論だけでなく学際的に広い学問領域で深い洞察力を見せ、日本最高の知性と言われた湯川秀樹先生は、ある意味雲上人として戦後復興期の多くの日本人の誇りの拠り所であったわけですが、同時に田中耕一さんや、中村修二さんも非常に人気の高い職人的な技術者です。彼等は質量分析器や青色レーザという私たちの身近な生活に直結する電機製品の要素技術で革新的な技術開発の道を極めた人たちです。一人は企業に残り、一人は去って別の道へと進みましたが、二人とも大きな注目と尊敬を集めています。この二人に共通する点は、実践的で職人的な雰囲気を感じさせる点でしょう。世界的にグレートな学者も誇らしいのですが、たたき上げのスーパーエンジニアも同様に讃える空気があります。

 彼我の技術観の違いをまとめてみると、まず日本では芸術と技術の区別があいまいな牧歌的な感覚のまま近代に到っています。そもそもテクノロジーの和訳が「技術」になったのは明治に入ってからのことで、明治初期には芸術と訳されることすらあったといいます。中世江戸時代の私たちの世界観においては、アートとテクノロジーに明確な境目はなかったようです。古来、わが国では精魂こめて作り上げたモノや、修練を重ねて上達したパフォーマンスを神様に奉納するという考え方があります。そんな奉納品の中に算術の「奉納算額」というカテゴリーがあったことをご存知でしょうか?幾何学などの解法が全国各地の神社仏閣に今も1000枚近く残されています。書や絵画のみならず、数学までが献上されていたと言うのは驚くべきセンスです。当時世界トップレベルだった関孝和のような上級レベルから、横丁のご隠居さんの道楽レベルまで含めて、ビューティフルな方程式を見つけ出した人は、それを上品な芸術と捉えて絵馬風に記して、神や仏に愛でてもらいたいと思っていたのです。