芸術家と技術者

 一般的に日本で職人気質と称されるものは、西洋的には芸術家のメンタリティと似ています。自分の才能やスキルを世に問うことで、実利を上げるというよりは名誉や名声を得たいと思う人種です。作家なら芥川賞を目指し、画家なら日展入選、科学者なら日本学士院賞などを目指します。芸術家の命は独創的であること。例え異端と言われても彼らは自らの直観を信じつつ、自分の納得するモノを見つけ出す努力をし続けます。長い雌伏の時間を覚悟して日々精進の暮らしぶりです。そのような頑固なストイシズムが、芸術家の域に閉じていないで、実務家の世界にも滲み出しているのが日本の職人達です。伝統工芸の職人から町工場の旋盤工やプレス工にも滲み出しています。ここでは独創性というワードは強すぎるかもしれません。我流の創意工夫と言い改めてみましょう。日本の現場から自然に湧いて出てきたのが小集団による「改善活動」です。組み立て現場の末端の作業者にも、与えられた作業をこなすだけでは納得できない、自分なりにそこに居る価値を出したいという気持ちが働いて、何か改良をしようとする空気は日本の職場に独特のものです。もちろん海外には全く無いと言っているわけではないのですが、仕事の場が修練の場であるという仕事感に根ざす質的な違いがあります。何でも「道」になり得ます。趣味のカラオケですら教室ではなくて「カラオケ道場」に昇華されて、歌を通しての精神修養みたいなノリが入ってきますね。

 芸術家が作品を創り出す際のメンタリティと、職人の工芸品や、熟練工が工業製品を工夫するそれとの間にあまり大きな違いがないことが日本の特徴です。芸術と技術の区別があいまいという言い方もできるでしょう。実用品を作る「工業」という現場の作業者にも芸術家の血が流れていて、それはハイテクというモダンな技術の世界になっても創意工夫という形で薄く広く生産現場の末端にまで及んでいるというのが日本の現場の特徴です。そこに従事する人は、使役に携わる生産ロボットではなくてプチアーティストなのです。

理論家と実務者

 この二者の関係性を生産でなく開発の現場に持ち込むと、登場人物の肩書きが研究部門のサイエンティストと開発部門のエンジニアに変わります。本質的に研究者のモチベーションとは、自筆論文が採択され当該分野の学会で評価される名誉を得ることでしょう。自分の名前が冠に付くような現象や方程式、反応式の発見を目指します。一方でエンジニアとは実用的なモノづくりを目指す人たちで、実践がゴールです。