美しく勝てるか?

 4年ぶりのオリンピックイヤーということで、この夏は北京の話題で盛り上がっています。中でも私には、柔道女子の谷本歩実選手のオール一本勝ち金メダルや、体操男子の団体戦銀メダルの健闘ぶりの報道のされ方・讃えられ方が印象に残りました。いずれも「美しかったこと」が評価されたからです。柔道がオリンピック種目に採用されグローバルスタンダードの波にさらされると、いかにして「効果」的に「有効」な印象をひねり出すかというせこいマーケティング分析みたいな世界になってしまいました。「道着を着たレスリング」とまで揶揄される中で、一本勝ちにこだわり続けた谷本選手の美しい勝利は私たちの溜飲を下げてくれました。今回は出場が叶いませんでしたが、同じ路線の井上康生選手に敗者の美学を感じている人も多いでしょう。体操男子団体の銀メダルについても「美しさでは金」という論調で国内では報道されました。採点基準が技術点寄りに変更され、体操競技がサーカス・雑技団化していく流れの中での清涼感を愛でる空気が感じられます。思い出すのは、2年前のトリノ五輪での荒川静香のイナバウアー。加点対象にならないことを承知の上で、美しさにこだわった彼女の演技に、そんな無言のメッセージを感じ取った日本人の心を打ったわけです。普通の金メダル以上の価値があったわけです。今回のコラムでは、このあたりの私たち特有の勝負観と技術開発勝負の関係を見て行きたいと思います。

 前回のコラムでは、金融資本主義VS産業資本主義の話から、モノ売り文化とモノ作り文化、顧客ソリューション型商売VS職人の自己満足型商売の関係性について分析しました。私たちの強みを認識しないと結局は、肝心要の職人気質のエンジニアの誇りが失われることになり、競争力を失ってしまうという話です。作り手と買い手の関係性が上下関係でなく、演者や作者とそのファンというフラットな関係というのが私たち生来の関係性であり、グローバルスタンダードに乗ってはならないと力説いたしました。