今後の数十年で,電子産業はどうなるのか。この問いに明快な答えを出せる人間はいない。一つだけ言えそうなのは,これまでの常識の延長線上に,これからの未来は描けないことである。産業発展の方向性や基礎になる技術,企業や技術者の在りようまで,従来とはガラリと変わってしまいそうだ。

 この企画を担当して筆者があらためて感じたのは,これまでの電子産業の発展が,いかに数値で表した電子機器の仕様に依存してきたかである。それを雄弁に物語るのがパソコンだ。パソコンの進化とはプロセサの動作周波数の向上であり,記憶容量の拡張であり,インタフェースの高速化だった。

 民生機器も同様である。1970年代に産声を上げたPDP液晶パネルは,30年の歳月を経て数百億色相当のカラー表示,1920×1080もの画素数,100型を超える画面寸法を手に入れた。光ディスクの容量は当初の数百Mバイトから,数百Gバイトを視野に入れるまでになった。

 この方向をさらに推し進めても,電子産業の将来展望は開けない。パソコンの仕様をいくらつり上げても価格の上昇に結び付かないし,テレビの画素数が人間の識別範囲を超える日はそう遠くないだろう。

機器からサービスへ

 機器の高機能・高性能化によって需要を喚起できないとしたら,電子産業の拡大の契機はなくなってしまうのか。その答えを探したのが本誌の創刊900号特集記事だった。我々がたどり着いた結論は,これまでとは違う方向での成長の可能性である。ひと言でいえば,ネットワークがさまざまな機器やユーザー,ひいては現実世界のあらゆるものをつなげるほど,新たな事業の種が生まれるというものだ1)

 今やインターネットは日常生活のあらゆる面を覆いつつある。WWWの発明者が目指したようにインターネットが現実を映す鏡としたら,その上に現実と同じ数の事業が花開いておかしくない。むしろ,ネットワークは現実にはあり得ないつながりを生み出すことで,新たな事業の機会を無制限にもたらすはずである。

 例えば人の健康状態を表す各種のデータをネットワークに取り込んだらどうだろう。遠隔地にいる医師の診断サービスから,体調に合わせた献立の提案やレストランの推薦,スポーツ・クラブでのエクササイズ・プランの立案などさまざまなサービスがあり得る。個人のデータが次第に蓄積され,多くのユーザーのデータと比較可能になれば,疾患の早期発見や,長期の「健康予報」も可能になりそうだ。米Apple Computer社が米Nike社と始めた,ジョギング時のデータを「iPod」に蓄積するサービスは,こうした時代への第一歩である。