共同ファブやSony Ericsson社のように,他社との協業や合併に踏み込むと,さらなる不安要素がある。異なる文化を持った複数の企業から相乗効果を引き出す作業は一筋縄ではいかず,つまづく企業は決して少数派ではない。鳴り物入りで米IBM社のHDD事業を買収した日立製作所の苦労がそれを物語る。2007年3月,日立は2006年度の単独決算で2000億円もの純損失を計上する見込みと発表した。HDD事業を担当する子会社の米Hitachi Global Storage Technologies(HGST)社の投資残高に関する評価損1600億円などが響いた。

 雇用の安定を重視する風土の中で,日本企業の経営陣は従業員の生活に一方ならぬ責任を感じているはずだ。自らの判断ミスで,社員の将来を危機に陥れるなど言語道断だろう。従業員の解雇や事業の売却に二の足を踏む経営者,自分の任期中は大きな波風は立てたくないと考えるトップがいても不思議はない。彼らにとって,大胆な事業再編という賭けよりも,予想できる範囲での衰退という「安定」を選ぶ方が,よりよい解なのかもしれない。

デジタル家電の後がない

 どちらが本当に適切な選択なのかは分からない。本誌の特集記事では,先々の繁栄を考えれば,なるべく早く事業を再編すべきと主張するしかなかった。根拠の一つは,電子産業の先行きに対する不安である。目先しか見ない対症療法を繰り返しているだけでは,思いのほか急速に事業がしぼんでしまうかもしれない。

 日本の電子産業は,これまでにも何度か危機に陥ったことがある。1990年代前半のバブル崩壊,2000年代初頭のITバブルの崩壊などである。そのたびに構造改革が必要との声が挙がったが,いずれも中途半端に終わってしまった。どちらの場合も,不振に陥った電子産業に活力を与える牽引役があったからである。バブル崩壊後には,パソコンや携帯電話機の市場が急拡大した。ITバブルがはじけた後も,薄型テレビやデジタル・カメラ,DVDといったデジタル家電の波が,業績を下支えした(図1)。

図1 国内電子産業は成熟期に 国内電子産業の年間生産金額と対前年比成長率の推移を示した。経済産業省の機械統計に基づく。電子機器と電子部品・デバイスを合計した値をプロットした。国内電子産業の生産金額は,1990年代前半のバブル崩壊や1997年のアジア通貨危機の後に,大きく落ち込んだ。しかし,パソコンや携帯電話機が牽引する形で,国内生産金額は再び成長軌道に乗った。2001年のITバブル崩壊で未曽有の不況に襲われた国内電子産業は,デジタル家電に次の牽引役を期待した。国内生産金額は再び成長を始めたものの,1990年代ほどの力強さはない。デジタル家電の市場は今後低成長時代に入る見込みで,それに続く産業の牽引役はいまだ不透明である。図は『日経エレクトロニクス』,2007年4月9日号,p.56から転載した。
図1 国内電子産業は成熟期に 国内電子産業の年間生産金額と対前年比成長率の推移を示した。経済産業省の機械統計に基づく。電子機器と電子部品・デバイスを合計した値をプロットした。国内電子産業の生産金額は,1990年代前半のバブル崩壊や1997年のアジア通貨危機の後に,大きく落ち込んだ。しかし,パソコンや携帯電話機が牽引する形で,国内生産金額は再び成長軌道に乗った。2001年のITバブル崩壊で未曽有の不況に襲われた国内電子産業は,デジタル家電に次の牽引役を期待した。国内生産金額は再び成長を始めたものの,1990年代ほどの力強さはない。デジタル家電の市場は今後低成長時代に入る見込みで,それに続く産業の牽引役はいまだ不透明である。図は『日経エレクトロニクス』,2007年4月9日号,p.56から転載した。 (画像のクリックで拡大)