過去の成功から抜けられない

 この計画が破綻した理由について,取材に応じた関係者からは様々な意見が出た。「試作ラインを設置したNECと,量産ラインを立ち上げるはずだったルネサス テクノロジの間に,感情的なしこりがあった」「計画を主導した経済産業省とメーカーの間で,意思の疎通ができていなかった」「最先端の製造を請け負うだけでは,赤字続きになることが分かった」…。

 取材を進めるうちに,こうした表面上の理由の下にある,根本的な事情が何となく見えてきた。結局,日本の半導体メーカーは,過去の成功体験から脱しきれなかったのである。

 DRAMで世界市場を制した日本メーカーの強みは,高い品質を作り込む製造技術だった。これからはそこで競うわけではないとどんなに言われても,各社の意識は大して変わらなかった。競争力を維持するには,やはり製造技術は自社開発すべきであり,製造設備も当然ながら保有する。他社の技術を導入したり,外部に製造を委託するなど,もってのほかである。こうした信念が残ったままで,メーカーをまたいだ製造技術の統一など,うまくいくはずがない。

 製造技術に固執する姿勢は,設計力の自信のなさと裏腹である。設計力強化のかけ声もむなしく,世界市場で通用する日本発のシステムLSIは,いまだに多くない。そうこうしているうちに,自慢の製造技術にも陰りがみえてきた。日本の半導体業界は,当初のもくろみとはまるで違う場所にたどり着いてしまった。

変わらなくても生きてはいける

 なぜ多くの日本企業は,過去の方法論にこだわり,ほとんど手遅れになるまで抜本的な改革に踏み切れないのか。この謎を解く見方の一つが,本稿冒頭の発言だった。かいつまんで言えば,こういうことだ。起死回生を狙う大胆な戦略の実行には,極めて大きなリスクが伴う。それを選んで失敗するより,確実に事業を継続できる方がいい。例えそれが,緩やかな死に向う道だったとしても。

 この発想には一理ある。半導体の共同ファブは,思惑通りに話が進んだとしても,事業として成功したかどうかは分からない。むしろ,これまでの定石に反する以上,一歩間違えれば事業が大きく傾く可能性がある。