本誌は2004年にiPodの開発物語を連載した。Phil Keys記者が書いた原稿の査読役だった筆者は,Apple社の取材先が連発する「体験」という言葉に強い印象を受けた。Apple社の主張によれば,彼らがiTMSやiPodを通じて提供しているのは,いつでもどこでも好きな音楽を聴ける「体験」だという。「ハードとソフト,サービスが相互に作用して出来上がるのが,デジタル時代の体験なんだ」(同社のマーケティング担当者)。彼らがこだわったのは,この体験を阻害する要因を徹底的に排除することである。iPodの使い勝手を高め,筐体を極限まで薄くし,楽曲の権利者に数々の条件を認めさせたのは,ひとえにユーザーの体験の質を高めるためなのだ注1)

注1)このような発想に基づくためか,Apple社は,機器の機能強化を第一に考える日本メーカーの常識に無頓着だ。例えば国内機器メーカーならば,付加価値が高い製品は値段も高くするのが普通である。Apple社は違う。2005年9月に発売した「iPod nano」の価格は,4Gバイトのフラッシュ・メモリ内蔵版で2万7800円。業界を驚かせる破格の安さだった。同日ソニーが発表した「ウォークマン Aシリーズ」の市場推定価格は,2Gバイトで3万2000円。Apple社は,用意する品種数も少ない。このとき発表したiPod nanoは,容量が2Gバイトと4Gバイトの二通りで,白と黒の二色しかない。ソニーのフラッシュ・メモリ内蔵品は,三つの容量帯で4色の機種があった。しかもApple社は発表と同時にiPod nanoの出荷を始めた。ウォークマンの出荷予定日は,発表会の2カ月以上後だった。

 おそらく,こういうことだろう。iPodとiTMSが織りなす体験が心地よいほど,ユーザーはそこから離れられなくなる。何よりもユーザー自身が強い愛着を覚える。その上この連鎖から抜け出すと,購入した楽曲が無駄になってしまう。Apple社の次の狙いは,ユーザーの視聴や購入の履歴を活用したサービスだろう。使えば使うほどしっくりくるサービスが実現すれば,ユーザーはますます逃れ難くなる。

日本メーカーが忘れた初心

 優れた「体験」を生み出すためには,機器とサービスを組み合わせた全体を見渡す構想が重要である。機器中心の近視眼的な発想に陥りがちな国内メーカーには苦手な領分,との声が,そこかしこから聞こえてきそうだ。

 本当にそうだろうか。筆者は,日本メーカーはもっと根本的な場所でつまずいている気がしてならない。Steve Jobsのプレゼンテーションから開発物語の逸話まで,Apple社の社員にひしひしと感じるのは,自分たちの製品は確実に世の中を変えるとの信念と,より良いものを作りたいという情熱である。同社では,開発中の製品を早く世に出してユーザーの驚き喜ぶ顔を見たいと誰もが心待ちにしていそうだ。

 翻って日本メーカーはどうか。製品に対する熱意が,巨大な組織の論理でいつの間にかねじ曲げられていないか。ソニーがApple社に対抗するため2005年11月に投入したパソコン用ソフトウエア「CONNECT Player」は,実はシリコンバレーのベンチャー企業に開発を依頼したものという。トップの英断で決めたものの,開発は滞り,出荷後には不具合も出た。この件を現場の社員がいかに苦々しく思っていたか,事情に詳しい人物から最近聞いた。

 結局iPodとは,「ものづくり」の初心を忘れた日本メーカーへの強烈な警鐘なのかもしれない。

今井 拓司