Pentiumで始まり
Pentiumで幕を閉じる

日経エレクトロニクス表紙

 1995年は「Pentium」で始まり「Pentium」で幕を閉じた年といえよう。1月2日号で緊急レポートとして報じたPentiumのバグの原因は,浮動小数点の除算命令や正接命令などで有効数字が少なくなることだった。バグへの対応に追われた日米のパソコン・メーカーと米Intel社は,Pentiumの無償交換に応じることになった。12月4日号では,特集記事として第6世代の86系32ビット・マイクロプロセサ「Pentium Pro」を,ポスト86系アーキテクチャに向けた第一歩として取り上げた。

 マイクロプロセサの発達とともに,パソコンが動画などの処理機能を標準搭載する日が近づきつつあった。3月13日号では,1990年代後半に登場するパソコンの姿を探った。パソコンは電話を超えた「フェース・ツー・フェース」のコミュニケーション・ツールになると主張。そのために必要な,通信や画像処理の技術を解説した。1月16日号では,フロッピー・ディスクに代わる大容量の書き換え可能な光ディスクを4種類比較した。

 この年の1月17日には「阪神・淡路大震災」が,3月20日には「地下鉄サリン事件」が発生した。

1995年に読まれた記事 BEST 3
  1. Pentiumのバグの原因が明らかに,FPUのROMに問題(1月2日号)
  2. Pentium Proの衝撃(12月4日号)
  3. 「メディア」になるパソコン(3月13日号)
1995年に評価が高かった記事 BEST 3
  1. Pentium Proの衝撃(12月4日号)
  2. Pentiumのバグの原因が明らかに,,FPUのROMに問題(1月2日号)
  3. 書き換え可能な光ディスクがマルチメディアで開花へ(1月16日号)

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本記事は,2006年7月に発行した日経エレクトロニクス創刊35周年特別編集版「電子産業35年の軌跡」から転載しました。内容は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります

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