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日経エレが目撃した電子産業・歴史の現場

【電子産業史】1994年:通信ネットワークのマルチメディア化

通信がATMで見た夢を叶えて魅せたインターネット

  • 2008/08/22 09:00
  • 1/3ページ

1994年,100Mビット/秒のEthernet(100BASE-T)やMPEG-2の仕様が確定,TCP/IPソフトが相次ぎ登場するなど,今のブロードバンドを支える技術が確立した。

 「だって通信は紳士の世界ですから」。今となっては完全なる死語だが,かつては通信事業者や通信機器メーカーへの取材で幾度となく聞いたフレーズである。それは,インターネットが一般に普及する以前,1990年代前半までのことだった。

 通信が紳士の世界たるゆえんは,事業者やメーカーがいかに国際標準を重視していたかという歴史が示している。当初,ISDN(総合デジタル通信網)では日米欧の3陣営がCCITT(現ITU-T)でそれぞれ異なるインタフェースを主張して譲らなかったし,テレビ会議の符号化では日本のNTTとKDD(現KDDI)が互いに互換性のない方式を熱心に開発していた。それなのに,いずれも国際標準がまとまると,各社は何の未練もなく自社方式をあっさりと捨て,国際標準に準拠したサービスや機器の商用化に邁進した。このように通信の世界では,国際標準が「紳士協定」として機能していたのだ。その根底には,黒電話の時代から脈々と続く「あまねく公平」のポリシーが貫かれていた。

「AALって何?」

 その紳士協定が通用しなくなったのは,音声通信の電話から,コンピュータを中心とするデータ通信へと,通信のニーズががらりと転換したことが大きい。1990年代に入ると,コンピュータの世界でワークステーション,パソコンへのダウンサイジングが進み,ネットワークの需要がぐんと高まったためだ。

 そこでコンピュータ業界が目を付けたのが,当時,究極の通信技術と目されていた「ATM(非同期転送モード)」だった。通信事業者や通信機器メーカーはそれこそ手塩にかけるようにして,ATMの国際標準化を進めていた。第1段階の作業が終了した1990年代初頭,ワークステーション・メーカーをはじめとするコンピュータ業界の面々が,ATMの世界に飛び込んできた。「今,ATMを一生懸命勉強しているところなんですよ。あのアルファベット3文字,4文字の技術用語には,ほとほと手を焼きますけどね。ところでAALって何でしたっけ?」。こうした声がコンピュータ関係者からよく聞かれた。

 それも無理はない。究極の通信技術といわれるだけあって,ATMには通信屋がおよそ必要と考える機能をすべて詰め込んでいた。音声や高帯域のオーディオ信号,そしてHDTV信号まで,どんな信号がどのような品質(ビットレート)で来ても,途切れることなくスムーズに送ることができる。それがATMの真骨頂だった。このためにATMは多種多様なプロトコルが一つひとつきっちりと決められ,それらは膨大な仕様書としてまとまっていた。

シンプルで太いワイヤがいい

 ところがコンピュータ屋がATMを詳しく調べてみると,自分たちの最も欲しい機能がすっぽりと抜け落ちていることが分かる。それは大容量のデータをそのまま高速に送る「シンプルで太いワイヤ」機能だった。そこで米Xerox社や米Sun Microsystems社,米IBM社などのコンピュータ・メーカーは,国際標準の舞台に乗り込んで,自らの要求仕様を実現した。それがATMの多彩な機能をほとんど生かせない,データ通信専用プロトコル「AAL5」だった。

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