創刊500号で90年代を予測
追われる立場の始まり

日経エレクトロニクス表紙

 ソニー創業者の盛田昭夫氏と石原慎太郎氏の共著『「NO」と言える日本』がベストセラーになったこの年,本誌は5月28日号で創刊500号を迎えた。前年の1989年11月27日号から8号に分けて「1990年代のエレクトロニクス」と題した連続特集を組み,エレクトロニクスの将来を多角的に分析した。

 最も読者に読まれた「携帯型パソコンの将来像を探る」(4月2日号)は,前年に発表され「ノート・パソコン」というジャンルをつくった東芝「DynaBook」の流れを受け,今後の方向性を探った特集記事だった。最も読まれた記事の2位「A5ファイル判や1kgを切るノートPCなど多数登場」などに見えるように,国内パソコン・メーカー同士の国内市場における熾烈な開発競争が背景にあった。

 だがこの年,日本IBMが発表した「DOS/V」は国産パソコンを鎖国状態から解き放つことになる。前年の1989年には米Motorola社の「マイクロTAC」が上陸し,携帯電話機の国際競争が既に始まっていた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」から「日はまた沈む」へ。1990年は日本の潮目が変わった年だった。

1990年に読まれた記事 BEST 3
  1. 携帯型パソコンの将来像を探る(4月2日号)
  2. A5ファイル判や1kgを切るノートPCなど多数登場(10月29日号)
  3. DynaBookと98NOTE,新機種が相次ぎ登場(12月10日号)
1990年に評価が高かった記事 BEST 3
  1. 携帯型パソコンの将来像を探る(4月2日号)
  2. 国内マイコン・メーカを困惑させる,米国技術者の20年前の特許(10月29日号)
  3. カラー液晶搭載パソコン,3年後に普及へ(7月9日号)

「読まれた記事」「評価が高かった記事」は読者アンケートの結果による

本記事は,2006年7月に発行した日経エレクトロニクス創刊35周年特別編集版「電子産業35年の軌跡」から転載しました。内容は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります

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