オール・デジタル化の意義

 ところで,放送のオール・デジタル化の意義は何だったのだろうか。実は,NABで実演された1992年当時,筆者は『日経ニューメディア』というニューズレターの編集部に所属していた。この時,直感したのが,「これは,放送のデジタル化だけを意味するのでない」ということである。そこで,『デジタル放送』ではなく,『デジタルテレビ』と冠した別冊を刊行した5~6)。この名称は,「将来のテレビは,放送や通信の区別なく,デジタル化された状態で入手できるあらゆる映像を映し出すモニターに変化する」という意味合いを込めたもので,サブタイトルは「放送・通信・コンピュータの融合」とした。

 事実,この別冊に向けて米国の動向を取材した時,関係者の間で交わされていたのが,画像フォーマットや伝送速度が自由になるという「スケーラビリティ」や,異なるメディア間で技術を共有させる「インターオペラビリティ」という言葉である。1992年ころは,既にADSL技術が登場しており,これを利用したVOD(ビデオ・オン・デマンド)も盛んに検討されていた。

 米MIT (Massachusetts Institute of Technology)Media Laboratoryの所長だったNicholas P. Negroponte氏は,「放送のデジタル化の意義は,高画質化にあるのではない。時間や空間の制約から人々を解放することにある。例えば,受信機側に大容量メモリを用意すれば,空いた帯域を利用して少しずつ番組を送信しておき,見たいときに見られるようになる」と,1992年の取材で,既に指摘していた。デジタルを前提に,通信・放送を組み合わせたさまざまな映像コンテンツの楽しみ方が議論されていたのである。

 そして,2006年,国内ではBS/地上デジタルによるハイビジョン放送に加えて,携帯機器での受信を前提にした「ワンセグ」のサービスが始まった。またブロードバンドの普及が進み,FTTHの加入数も一気に伸びている。通信と放送が融合する時代を見据えた竹中平蔵総務大臣主催の「通信・放送の在り方に関する懇談会」の報告書は,冒頭で国内における地上放送のデジタル化が完了する2011年を「完全デジタル元年」と位置付けた。この原点をたどると,GI社による1990年のオール・デジタルのデジタル放送方式の提案に行き着くのである。

田中 正晴
参考文献
1) 「米ゼネラル・インスツルメント社,米国のHDTV伝送方式の開発競争に参入」,『日経ニューメディア』,1990年7月2日号,p.11.
2) Paik,「放送デジタル化のきっかけとなったDigiCipher方式」,『日経エレクトロニクス』,1996年9月9日号,no.670,pp.147-149.
3) Paik,「試作機にトラブル発生,危うし,初の公開実験」,同上,1996年9月23日号,no.671,pp.159-162.
4) Paik,「公開実験は大成功,仕事をかたづけ,退職へ」,同上,1996年10月7日号,no.672,pp.141-144.
5)『デジタルテレビ―放送・通信・コンピュータの融合』,日経ニューメディア別冊,日経BP社,1992年.
6) 加藤ほか,「デジタルHDTV技術」,『日経エレクトロニクス』,1993年2月15日号,no.574,pp.101-124.