1990年,オール・デジタルのHDTV放送方式が提案された。

 1990年6月,それまでのHDTV放送システムの開発を一変させる技術提案があった1)。米General Instrument(GI)社の「DigiCipher」である(図1)。特徴は,映像のデジタル圧縮に加えて伝送方式もデジタルにした,いわゆる「オール・デジタル」方式であること。1990年6月に,米国の次世代地上テレビ放送(ATV)方式の検討を進めるFCC(連邦通信委員会)の諮問機関に提案された。

図1 DigiCipher方式のエンコーダ/デコーダの試作機と開発リーダーのWoo Paik氏 本誌1996年9月9日号より。
図1 DigiCipher方式のエンコーダ/デコーダの試作機と開発リーダーのWoo Paik氏 本誌1996年9月9日号より。 (画像のクリックで拡大)

 このころは,日本がアナログ伝送のMUSE方式による衛星ハイビジョン放送の実用化に突っ走り,欧州勢が対抗馬のHD-MACの開発を推し進めるという構図だった。特に国内では1989年に実験放送が始まり,1991年には試験放送に昇格させるというちょうどそのタイミングで,オール・デジタルのテレビ放送技術が提案されたのである。

 映像システム開発の関係者に本当の意味で衝撃が走ったのは,その1991年と1992年の「NAB(National Association of Broadcasters)」で行われたデモ(シミュレーションおよび電波を受信する実験)である。GI社の提案は,デジタル圧縮技術に磨きをかけて,地上放送にデジタル変調を施し,HDTV信号を押し込めて送信しようというもの。しかし6MHzという帯域幅だと,確保できる伝送容量は20Mビット/秒程度。この中に本当にHDTVの映像信号を押し込められるのか,という疑念があった。デモで,こうした疑念は払拭された。映像データの高能率符号化技術の威力が証明されたからだ2~4)

 この後,テレビの世界が様変わりする。まず,米国ではDirecTV社による100チャンネルを超えるSDTVの衛星デジタル放送が1994年に始まる。さらに同年には,動画像圧縮の国際標準規格MPEG-2がまとまり,1998年には米国でHDTV(変調方式は8値VSB),英国ではSDTVの多チャンネル放送(変調方式はOFDM)がスタートするのである。