Newtonの失敗を受けて産業界が期待したのは,米General Magic社だった。日本企業を含めて多くの企業が出資するなど,産業界を挙げての後押しがあったが,成果は結実しなかった。PDAの中で,ある程度の成功を収めた製品もある。米Palm Computing社の「Pilot」やシャープの「ザウルス」,ソニーの「クリエ」などである。いずれも数百万台規模という一定の市場を確保したものの,大きなうねりになることは決してなかった。なぜなのか。

 その答えが出るのには,21世紀まで待たなければならなかった。当時のPDAは,手帳代わりの役割だった。文字認識も可能で,紙の手帳に近づいたとはいえ,その利便性を評価する人は一握りにすぎなかった。ところが2000年前後に,思わぬ形でPDAのような存在になった電子機器がある。携帯電話機だ。つまり,電子手帳をネットワークにつなぐのではなく,ネットワークにつながった機器に電子手帳の機能を加える方が,多くのユーザーの支持を得られたわけである。Newtonが世に出た当時,移動先におけるネットワーク環境が今ほど発達していたなら,PDAの普及の度合いも違っていただろう。

 むろん,PDAの試みが無駄だったわけではない。その開発を通して得られた知見やノウハウは,21世紀のユビキタス機器開発に役立っている。つまり,1990年代は,2000年以降のユビキタス社会に向けた助走の10年だったといえる。

インターネット,産声を上げる

 Knowledge Navigatorの実現に期待が高まっていたころ,21世紀を大きく変える技術が胎動していた。インターネットである。


(画像のクリックで拡大)

 よく知られている通り,インターネット自体の歴史は古い。1969年に研究目的のネットワーク「ARPANET」が作られ,大学や研究機関がつながった。UNIXワークステーションのネットワーク環境としてARPANETの利用者は増えたが,あくまで研究者のためのものだった。1991年,Tim Berners-Lee氏という研究者が,WWW(world wide web)の仕組みを公表した。これによりインターネットは,単なる通信路ではなく,文書を相互にハイパーリンクでつなぐための情報インフラとなる。

 さらに大きな変革が続く。WWWブラウザーの誕生である。ソフトウエア技術者のMarc Andreessen氏らが作成したWWWブラウザー「Mosaic」をキッカケに,インターネット人口は爆発的に増えた。ARPANETのプロジェクトが始まってから四半世紀を経て,インターネットが社会を大きく変え始めたのである。