ヤング・レポートとプラザ合意
米国復活ののろし

日経エレクトロニクス表紙

 1985年は,米国のレーガン政権が設立した産業競争力委員会が「ヤング・レポート」をまとめた年である。米国の産業競争力の向上を狙い,新技術の創造や実用化,保護などを提言した。米国政府はこれを基にアンチパテントからプロパテントに政策転換,知的財産権の保護を推進する。財政赤字と貿易赤字に苦しみ沈滞していた産業力が復活するキッカケと位置付けられている。

 ドル安に向けた先進5カ国の協調介入を推進する「プラザ合意」もこの年である。この後,円高が急激に進行し,それに合わせる形で生産の海外移転など国内産業の空洞化が進行する。国内では,電電公社が民営化された。ミノルタからAF一眼レフ・カメラ「α-7000」が発売されたのも大きな話題となった。

 この年,読者の評価が最も高かった記事は,3月25日号に掲載した「周辺端末やコンパクト・ディスク,画像ファイルに使われようとしている消去可能な光ディスク」である。この年の日本経済新聞社によるヒット商品番付で,α-7000と並んでCDプレーヤーが横綱にランクされた。

1985年に読まれた記事 BEST 3
  1. 技術速報(6月3日号)
  2. 加速する大型液晶ディスプレイの開発(12月30日号)
  3. ICカード市場へなだれ込むエレクトロニクス・メーカ(下)(12月16日号)
1985年に評価が高かった記事 BEST 3
  1. 周辺端末やコンパクト・ディスク,画像ファイルに使われようとしている消去可能な光ディスク(3月25日号)
  2. 1000億円市場が間近に迫ったゲートアレイ(6月3日号)
  3. ICカード市場へなだれ込むエレクトロニクス・メーカ(下)(12月16日号)

「読まれた記事」「評価が高かった記事」は読者アンケートの結果による

本記事は,2006年7月に発行した日経エレクトロニクス創刊35周年特別編集版「電子産業35年の軌跡」から転載しました。内容は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります

―― 【次回】1986年:高温超電導の発見 ――