FBIが仕掛けた「おとり捜査」

 しかし日立には,情報を盗むという強い意識はなかった。結果的にそうなったのは,FBIがIBM社の協力を得て実行した「おとり捜査」によって深みにはまっていったからである。

 事件の発端は前年の1981年夏,日立が3081Kの機密文書「アディロンダック・ワークブック」の一部を入手したことにある(逮捕当時のFBI発表によれば,その文書は盗難品だった)。そこへタイミングよく,日立が当時使っていた米国の調査会社が3081Kに関するレポートを持ち込んだ。既に上記文書を入手済みの日立はそれを示し,残りも必要な旨を同社に伝えた。

 するとその調査会社は日立に機密文書があることを直ちにIBM社に通報。以後FBIにIBM社が協力して,日立の社員をおとり捜査に誘い込んでいく。その過程で日立は,情報の対価として覆面捜査官に54万6000米ドル(約1億6000万円=当時)を支払っている。

 さらに覆面捜査官は,これが会社ぐるみの犯罪であることを立証するために地位の高い人物による保証を要求し,神奈川工場長までも渡米させることに成功した。このようにしてFBIは,日立が違法に機密情報を入手するシーンを演出し,その現場を隠し撮りしたビデオテープなどの証拠を蓄積した上で逮捕に踏み切ったのである。

互換機ビジネスはさらに発展

 しかし,日本企業の互換機ビジネスはこの事件の影響を受けなかった。富士通だけでなく日立も,である。日立は裁判で全面的に争う姿勢を見せた。結局,刑事裁判は司法取引,IBM社が起こした損害賠償の民事訴訟も和解して,日立は5年間IBM社の監視を受けることにはなったものの,むしろ互換機に取り組みやすくなったといえる。高価なメインフレームの世界では,登場が何年か遅れても安価な互換機へのニーズは高まる一方であった。

 しかしそのころ,メインフレーム時代終焉の兆候が現れていた。1980年代半ばにワークステーションが台頭,1990年代半ば以降はパソコン全盛でメインフレーム市場は大きく縮小し,今ではほとんど話題に上ることもない。

石井 茂
参考文献
1) 「IBMが最上位機種3081Kと370拡張アーキテクチャを発表」,『日経エレクトロニクス』,1981年11月23日号,no.278,pp.84-86
2) オクティほか,「高性能LSIの高密度実装を可能にする熱伝導冷却モジュール」,同上,1982年7月19日号,no.295,pp.233-252.