サッチャーが英大学に競争導入

 1980年代にはヨーロッパの科学技術政策も変化する。大学が産業や経済に貢献するように政府は誘導した。もともとヨーロッパでは産業界と大学の距離が遠い。大学に工学部を置くことさえ,ヨーロッパは嫌ってきた。しかしそのヨーロッパで,大学に対して政府が,そして社会が,産業や経済に貢献するよう要求する。伝統的大学人は当然,反対する。今にして思えば確かにそれは革命だった。

 例えば英国首相だったときのマーガレット・サッチャー(首相在任は1979~1990年)は,競争原理を大学に導入する。政府から大学への資金をいわゆる「競争的資金」にしたのである。大学からの提案や大学が達成した成果に応じて研究資金を配分する。提案や成果の評価には,産業や経済の観点からの判断も加える。

 当時の英国大学人の多くは,この改革に反対だった。しかし英国の大学はその後,産業界との連携やベンチャー創業支援を強化する。いまや大学の研究室を母体としたベンチャー企業が続々と誕生するに至っている。

タテからヨコへ

 1980年代の段階では,ネットワークの活用は限定的である。インターネットの商業利用もまだ始まっていない。しかし産業構造には影響が及び始めている。

 例えばコンピュータや情報通信分野の産業構造は,1980年代後半から1990年代初頭に,すっかり変わった。変化はタテからヨコへと要約できる。水平分業と呼ばれることもある。いわゆるオープン化でもある。

 かつてメインフレームがコンピュータの主役だったころ,コンピュータ市場の構造は図2(a)のような垂直統合型(タテ型)だった。米IBM社も日立製作所も富士通も,部品から最終製品まで,何でも自社で作る。半導体チップから,コンピュータ・ハードウエア,基本ソフトウエア(OS)を経て,販売チャネルまで,すべて各社ごとに統合していた。この構造では,ユーザーの選択はどの会社を選ぶかに尽きる。

図2 タテからヨコへ クローズドな垂直統合構造(a)からオープンな多層水平展開構造(b)への転換が進んだ。
図2 タテからヨコへ クローズドな垂直統合構造(a)からオープンな多層水平展開構造(b)への転換が進んだ。 (画像のクリックで拡大)

 ところがオープン化した多層水平展開市場(ヨコ型市場)では,図2(b)に見るように,マイクロプロセサ,ハードウエア,OS,アプリケーション・ソフトウエアなど,システム階層の層ごとに複数の企業が製品を出している。各企業は自社の事業を特定の層に絞り込む。