連携・協力の時代にオープンな機構の果たす役割は大きい。オープンな機構をプラットフォームとして,目的や価値観の異なる組織・人の交流が図れるからである。この点で,本来オープンな機構である大学への期待が大きくなる。

 シリコンバレー・モデルの特徴は,企業家(entrepreneur)の母体としての大学の役割が大きくなったことである。中央研究所の維持が難しくなった大企業はどう対応したか。

 日本の超エル・エス・アイ技術研究組合には大学は加わっていない。ところが欧米の企業コンソーシアムには大学もさまざまな形で参加している例が多い。欧米の企業コンソーシアムは大学との関係を強化していく。

 また米国では,かなりの数の研究者が大学に移る。この結果,米国の大学に企業経験者が増えた。これが産学連携に有効に働く。

1980年にバイ・ドール法が成立

 米国でバイ・ドール法(Bayh-Dole Act)が1980年に成立する。連邦政府資金による研究が生み出した知的財産(特許など)であっても,その研究を実施し発明を実現した当の大学に帰属させることが,これで可能になった。またその特許を,大学が他者に独占的に実施させることも認めた。バイ・ドール法以前は原則国有である。そしてほとんどの国有特許が休眠していた。

 バイ・ドール法以後,米国の大学では技術移転が活発化する。図1に米2大学の技術移転収入の年次推移を示す。米国の活発な産学連携が1980年以後であることを,この図は示している。日本で大学からの技術移転を促進するための法律(大学等技術移転促進法)ができるのは1998年である。そこには,ほとんど20年の時間差がある。

図1 米国の大学における技術移転収入の事例 出典:『日経産業新聞』,1998年4月17日付。
図1 米国の大学における技術移転収入の事例 出典:『日経産業新聞』,1998年4月17日付。 (画像のクリックで拡大)