その結果,独創的な新しい研究テーマは少なく,多くは改良・高性能化になった。「4年間という限界があった。全研究員がそろったのは2年間と短い。“新しさ”については認識の違いがあるが,可変寸法矩形方式の電子ビーム描画装置などは独創的なアイデアである」(垂井氏)。現在でもこの電子ビーム露光技術は高速描画に欠かせない標準的な技術となっている(図2注1)

図2 可変寸法矩形ビーム方式による電子ビーム描画装置 1977年5月に発表された。
図2 可変寸法矩形ビーム方式による電子ビーム描画装置 1977年5月に発表された。 (画像のクリックで拡大)
注1) 主な研究テーマは,(1)微細加工技術(可変寸法矩形方式電子ビーム描画装置,電界放射方式電子ビーム描画装置,縮小投影型紫外線露光装置,X線露光装置,電子線/X線/UVレジストの開発,マスク検査装置など),(2)結晶技術(大口径Si単結晶育成加工技術,反り制御技術,熱誘起欠陥挙動の解明など),(3)プロセス技術(連続式ドライ・エッチング技術,新リフトオフ技術,電子ビーム描画用高速ソフトウエアの開発など),(4)試験・評価・デバイス技術(レーザや赤外線によるデバイス解析システム,Mビット集積化技術など)である。

 研究テーマの中には,電子ビーム描画装置だけでも3種類,転写装置は4種類もある。共同研究所では,文献などを含め将来の可能性のあるアイデアやテーマは軒並み完成させた。このため一部では「トロール漁船並みの根こそぎの開発」とまでいわれたほど。

図3 記憶用のキャパシタを積層したSHC DRAM 1977年2月に発表された。
図3 記憶用のキャパシタを積層したSHC DRAM 1977年2月に発表された。 (画像のクリックで拡大)

 同一建物の中で,議論しながら,複数の装置を開発することで「それぞれの長所を互いに利用し,競争原理が働き,無駄がなかった」(垂井氏)。各社のトップ技術者が参加し,決定と運営に柔軟性があったことも成功した理由の一つである。それぞれの開発には,装置メーカーや化学・機械・光学メーカーなどが参画した。

 この成果は,1980年代後半になってDRAMを中心とした半導体デバイスで,日本が米国を抜き世界シェアでトップとなったことに現れている。これが,日米半導体貿易協定につながり,米国メーカーがプロセサなど論理LSIに注力する結果となった。また,電子ビーム露光装置は日本で3社が,また縮小露光装置(ステッパ)は2社が提供し,現在に至るまでそれぞれ高いシェアを確保している。Siウエハーも日本の地位が高い。

 それだけにとどまらず,産学官協調体制の意義を内外に示し,その後,世界各地で同種の産官ないしは産学官共同プロジェクトが始まるきっかけとなった。しかし,1980年代の同一品種を高い歩留まりで大量生産する成功体験,すなわちDRAMに依存する体質が,1990年代以降の多品種・少量生産の論理LSI中心の半導体ビジネスへの転換に出遅れた原因となった。

伏木 薫
参考文献
1) 西村ほか,「2~3μm時代に入ったMOS LSI」,『日経エレクトロニクス』,1979年3月5日号,no.207,pp.60-203.