1975年,CCDを用いた国内初のカラー・カメラをNHK総合技術研究所とNECが試作した。


図1 クレームが付いた記事 本誌1974年5月20日号に掲載した。

 1974年の初夏。大手写真機・フィルム・メーカーの役員に呼び出された。

 「こんな記事を書かれては困る」

 本当に怒っている。

 私が書いたその記事は,日経エレクトロニクスの1974年5月20日号の解説記事「商品化を目指し開発急ピッチのCCD」だ(図11)

 CCDはCharge Coupled Device(電荷結合素子)の略。今ではデジタル・カメラやビデオ・カメラに使われているので,その中身はともかくCCDの名前を知っている消費者は多い。CCDは構造が至って簡単な上に,一つの素子が転送と蓄積の機能を備えている情報処理に適したデバイスである。撮像管に代わる可能性を秘めた半導体デバイスとして注目を集めていた。

 記事の内容が,「写真フィルムを使った8ミリカメラやカメラを駆逐する」という誤解を読者に与えるというのがクレームの趣旨であった。「写真フィルムの技術がどれほど精緻なのか知らないから,こんな記事が書けるんだ」と取り付く島がない。結局,その会社のフィルム工場や中央研究所を取材する羽目になった。「それでも地球は回っている」と言ったガリレオの心境が分かるような気分になったのを覚えている。

 1970年にニューヨークで開かれたIEEE主催のパネル討論会で,米国のBell LaboratoriesがCCDを初めて紹介した。イメージ・センサやシフト・レジスタ,メモリなど多彩な応用分野が見込めるため,有力企業が一斉に研究を始めた。米IBM社をはじめ米General Electric(GE)社,米Radio Corporation of America(RCA)社,米Texas Instruments(TI)社,米Fairchild社などが,次々と研究成果を発表した。

 日本でもNEC,日立製作所,東芝,富士通,ソニーなどの大手企業が研究に着手した。その多くは1次元のイメージ・センサやシフト・レジスタで,2次元の撮像素子を開発する米国企業とは大きな差があった。当時の日経エレクトロニクスの提携誌だった米Electronics誌ではローレンス・アルトマンという敏腕記者がCCDの特集記事を何回も書いていた。これに刺激を受けて,日本でも解説記事を書こうと思い立った。

 初めての海外出張でひどく緊張した。IBM社,GE社,RCA社の研究所を取材して,日米の技術格差が大きいのに愕然とした。特にIBM社のWatson Research Centerで見た50万画素の撮像素子は,今でも鮮明に記憶に残っている。