図2 世界初の液晶カラー・テレビ 1983年にセイコーエプソンが試作品を発表,翌年商品化した。写真は本誌1983年5月23日号から。

 次の壁のカラー化は,1981年に東北大学から3原色の色紙(カラー・フィルタ)を並べればよいという,極めて単純な方法が提案された4)。表示容量とカラー化の制約を取り除く,この二つの技術を結び付ける研究は急激に広がり,驚異的な速さで進んだ。1983年にはカラー・ポケット・テレビの試作品を現セイコーエプソンが世界に先駆けて発表した5)。わずか2インチ大(多結晶Si)だが,CRT以外でカラー・テレビを実現した初の出来事である(図2)。

 液晶は「超」幸運なデバイスである。ほぼ10年ごとに革命ともいえる飛躍が起きている6)。低消費電力と薄さを武器に多少表示品質が見劣りしても,他のディスプレイでは実現し得ない応用製品をその時ごとに創り出した。

 1990年に10.4型で「大型」時代が始まり,ノート・パソコン市場を生み出す。そこで技術を習熟し,1990年代末に液晶モニター市場が立ち上がり,5年間倍々ゲームで伸びた。昨年には,ついに約1億台/年ある世界のCRTモニター市場をほぼ置き換えた。

 モニターと4年ズレて2003年に立ち上がった液晶テレビ市場は,成長の傾きがさらに大きい。2006年4000万台を超え,早ければ北京オリンピックの2008年には1億台の大台を超える勢いである。

 液晶実用化から30年,「壁掛けテレビ」が実現した。100型は面積が畳2枚に近い。大きな鏡が,窓ガラスが,ディスプレイになってもおかしくない。「壁がテレビ」の時代も夢ではない。液晶は自発光型ではない。「だからキレイになれない」。これが常識に近かった。これも覆るかもしれない。液晶ディスプレイは光源,シャッター,スイッチが独立している。劇的に進歩するLEDと組み合わせると,画質でもCRTをはじめ蛍光体を使うディスプレイを超える可能性も出てきた。

林 裕久
参考文献
1) 沢井,林,「ディスプレイの地図を塗り替え始めた液晶表示の工夫を探る」,『日経エレクトロニクス』,1973年12月17日号,no.71,pp.50-67.
2) 林,「エネルギー源として見直される太陽電池」,同上,1974年6月3日号,no.83,pp.50-70.
3) 「アモーファスSiを用いたMISFETアレイを試作」,同上,1979年4月16日号,no.210,p.112.
4) 「カラー・テレビ画像表示を目指した液晶パネル」,同上,1981年5月25日号,no.265,pp.88-92.
5) 「液晶カラー・ポケット・テレビが登場」,同上,1983年5月23日号,no.317,pp.102-103.
6) 林,「液晶の強いわけ」,『NIKKEI MICRODEVICES』,2005年10月号,no.244,p.167.