1973年,液晶ディスプレイを用いた世界初の電卓をシャープが発売した。

 液晶ディスプレイは,いまやLSIに次ぐ2大電子デバイス産業になった。「キレイ」「汚い」の評価はまだ分かれるところだが,液晶テレビの存在を疑う人はもはやいない。画面サイズが試作レベルで100型,65型は既に店頭に並んでいる。

 真空管から半導体への置き換えは,革命である。同じ半導体の中で,トランジスタ,ダイオードから集積回路(LSI)への進歩も革命といってよい。液晶もよく似ている。7セグメントの数字表示やモノクロームのマトリクス表示は半導体のダイオード,トランジスタに,フルカラー表示のテレビの登場はLSIに当たる。


図1 世界初の液晶電卓 1973年にシャープが商品化した。写真は本誌1973年6月4日号から。

 7セグメント表示の液晶の電卓と腕時計が実用化されたのが1973年である(図1)。世界初の液晶電卓をシャープが,腕時計は国内外の数社がこの年市場に出した1)。画期的な出来事だった。電卓は手のひらに収まり,電池で100時間使えた。それまでゼンマイを毎日巻く必要があった腕時計が,1年以上動いた。有機物を電子デバイスの要所に使った最初の例でもある。

 当時ブラウン管(CRT)のカラー・テレビは民生機器の花形だった。技術も激しく進歩していた。登場した電卓や腕時計は,CRTでは不可能な大きさ,乾電池動作を実現したものの,表示性能はお世辞にも良いとはいえなかった。

 シャープの最初の電卓は動的散乱モード(DSM)を使い,前方から入る光を遮るひさしを付け,使い心地は悪かった。電界効果型(TN)を採用した腕時計はコントラストが悪く,のぞき込んでも見にくかった。一足先に登場したLED(発光ダイオード)の腕時計は,輝きが宝石のようだといわれて,もてはやされたくらいだ。

 表示容量もテレビ映像に換算して2~4本の走査線を表示できる時分割駆動能力しかなく,カラー化の見通しも皆無だった。テレビに使われるまでに発展するとは,想像すらできなかった。

 それでも,CRTに代わるものができないか。薄い板のようなテレビができないか。夢の「壁掛けテレビ」という言葉はこの時に出ている。プラズマ・ディスプレイ・パネル(PDP),エレクトロルミネッセント(EL),LED等々,それにCRTの平板化も含め,さまざまな挑戦が始まっている。

 最も縁遠いとみられた液晶は,隣り合う画素から回り込む信号の抑制が致命的ともいえる壁だった。この難題の解決には,1973年の石油危機が味方した2)。太陽電池を大面積で安く造る研究が世界レベルで始まり,Si系の多結晶とアモルファス(aSi)の薄膜をガラス基板上に低温で作る研究が進んだ。もっとも,液晶の信号の漏れを防ぐaSi TFT(薄膜トランジスタ)の最初の試作が,英University of Dundeeから発表されたのは1979年である3)