軽工業から重化学工業へと産業の主役が代わることを,工業化のある段階では「進歩」と考える。第二次大戦後の日本の産官学の機構は重化学工業化のためのキャッチアップ体制だったといえるだろう。その目的にはよく機能した。

 旧社会主義諸国も重化学工業化を目指した。社会主義は,その段階では,それなりに有効だったのではないか。日本の官僚制度と社会主義の機構には重なるところが少なくない。

 重化学工業のほとんどは産業用の資材を作る。軽工業から重化学工業へという転換の過程で,消費者向けの製品を作る会社より,産業資材を作る重化学工業の大会社の方が「偉い」という意識が社会に形成される。

 ところが電子産業は,重化学工業化を進歩とみる産業発展史観に当てはまらない。すなわち産業の主役が,重化学工業からいわゆるハイテク産業へ,情報産業へと移ることを「進歩」と考えないわけにはいかなくなってくる。

 図1に見るように,1970年代には単結晶シリコンの国内需要が急増する。図1を,重化学工業からハイテク産業への転換とみることもできよう。エネルギーの時代から情報の時代への転換とみてもよい。

 脱工業化,情報化,サービス化,ポストモダンと呼ばれるような転換も始まる。転換の曲がり角は1970年代前半に集中している1)。エレクトロニクスはその転換を推進し加速した。以下ではその転換を取りあえず情報化と呼ぶ。

 マイクロプロセサやDRAMは,1970年ごろに世に出た。光ファイバ通信の開発が一気に加熱したのも1970年からだ。硅石器時代(silico-lithic age)元年を私は1970年とした1~3)。『日経エレクトロニクス』の創刊(1971年4月)と硅石器時代の始まりは同期している。

消費者の台頭と貿易摩擦

 情報化と並んで時代を象徴する用語は「消費者」である。第二次大戦後この時期までは,官民を問わず,関心は「生産」にあった。生産振興,輸入から「生産者をいかに保護するか」などが通産省の政策でも主要関心事だった。ところが1970年前後から,消費者が次第に社会の重要なプレーヤーとして表舞台に出てくる。公害や欠陥商品など,生産者と消費者のあつれきが目立ち始めた時期でもある。工業化から情報化への転換と,生産者優位から消費者優位への転換は,おそらく底でつながっている。