こうした状況を踏まえ、いわゆるガラパゴス論という自虐的な考えが流布し始めています。国内に多数あるメーカー各社が、日本国内でしか通用しない贅沢で特殊な機能を追い続けた結果、世界の常識からかけ離れた「際物きわもの」製品が生まれ、絶滅危惧種になってしまうというのです。携帯電話機などが事例に挙げられ、あたかもガラパゴス諸島でしか生きていけない珍獣のようになると評されます。モノ作り側の論理が強すぎるとこのようなことになってしまうようです。

 一方、日本のモノづくり文化を支えている古き良き美徳とされる価値観に、「職人かたぎ」というものがあります。長年の辛抱と努力を重ねて身につけた独自の感覚を研ぎ澄まして、自分の中に設定した高いゴールイメージを満足するものだけを世に出したいというメンタリティです。それは突き詰めると芸術家のようなもの。「売らんかな目的」で作っているのではなく、ファンにはわかってもらえる優れたものを作りたいという自分の物差し中心の考え方です。「金融資本主義vs産業資本主義」などと小難しい用語で始めましたが、結局は売り手文化と作り手文化の違いという風にも解釈できるでしょう。行き過ぎると、前者は己が利殖のために魂を売ることになり、後者は独りよがりな過剰品質に行き着くのです。

 「結局、お互いバランスが大事ですね、もう少し柔軟に両者の良いところを活かしましょう!」という結論でシャンシャンと手打ちにできるほど余裕のある状況ではありません。金融資本主義のワンサイドゲームになりつつあるからです。「グローバルスタンダードの時代です、もっと現実に目を向けて、世界の理屈で戦わなくちゃ手遅れになりますよ」というような、いかにもわけ知り風なことを語る先生方、評論家やらコンサルタントが増殖していて困ったものです。バブル終焉以降、自信喪失しているところに、MBAチックに企業経営をオペレーションのフレームで捉えて、勝つためのゲームとして執行することが正義という金融資本主義の手先が企業のあちこちに侵入してきています。

 いまや世界の趨勢は金融資本主義が勝ち馬。世界一部リーグにひしめく強豪たちは、大陸での長い歴史に裏付けられた、狡猾さと冷徹さを磨きこんできました。かなり分の悪い産業資本主義陣営ですが、いまやこの陣営の精神的にも実質的にも盟主となった日本は、一見苦しくても独自の価値観に基づいた立ち位置を見失ってはならない。そう私は思うのです。独りよがりな過剰品質?結構じゃないか。ガラパゴス?ますます結構。そんな、世界が失ってしまった職人かたぎを積極的に武器とすべきだと。

 3C分析も結構ですが、競合(Competitor)より、顧客(Customer)より前に一番大事なことは自社(Company)のC。己は何者で、何が作りたくて、どんなふうに社会に貢献したいのかという1C分析は基本中の基本の話です。