投機マネーの乱入で未曾有の高騰を続ける石油や穀物。実体経済を脅かす肥大化したバーチャルな金融資本の狼藉ぶりが大問題になっています。

 これにもからみ、よく言われるのが「二つの資本主義のバランスが崩れている」ということです。一つはモノづくりを前提とした産業資本主義、今ひとつは経済の血であるお金を中心に考える金融資本主義。前者は企業活動の目的が「いいモノやコト」を提供することに意義を求めその対価として利益を規定するのに対し、後者ではいかにお金を殖やすかが目的化する傾向があります。

 従来は、一次産業から二次、三次へと社会資本の充実に伴って徐々に金融資本主義へ「進化」していくものとされてきました。ところが、いまではシンガポールやドバイがこの段階を経ずいきなり金融センター化を狙うなど、飛び級タイプも登場してきました。情報インフラが進歩して、そもそもバーチャルと相性の良い金融が実体経済から離れて一人歩きできるようになったためです。忍耐の要る面倒な成長の手順は抜きにして、一足飛びにリッチになりたい後発国の気持ちもわかります。

 金融資本主義の行き着く先は最新の金融工学を駆使した投機になり、「マネー」として実体経済を脅かす。そんな話が巷でよく語られています。近頃では地球温暖化問題をもっともらしく前面に押し出した上で、実はCO2排出権取引ビジネスというフレームワークを作り上げ、環境を口実に一儲けしようとする動きがあります。利殖至上主義の一端が垣間見えるようです。地球環境という人類の問題ですら利殖ネタというのがグローバルスタンダードの実態でしょう。なにしろ天候デリバティブなんていうバチあたりな金融商品すら存在する時代です。

 このようにバーチャルなマネー至上主義の行き着く先が欲にまみれた不毛の地であることについてはしばしば議論されますが、一方の産業資本主義についてはどうなのでしょう。経済の血液という「手段」であったはずの「マネー」がいつの間にか一人歩きして、やがてそれを増やすことが目的化する。このメカニズムを、「いいモノ」「いいコト」を提供するという産業資本主義の文脈に当てはめてみれば、いいモノにするための「手段」であったはずの「機能」がいつの間にか一人歩きして、やがてそれを増強進化させることが目的化する。つまり、作り手が「不要なまでに良すぎるモノ」を押し付けるというかっこうになるでしょう。機能テンコ盛りで扱いづらい製品、過度にこだわった玄人受けする高価なサービスを素人に押し付けるという姿です。なんだか思い当たる節がありませんか?