須恵器の壷。縄文土器、弥生土器に続いて焼かれた日本古来の器。焼成温度が上がり、土器よりは硬く焼き締まっている。飛鳥時代に焼かれたものとされる。

丹波焼の壷。粘土で整形し焼成しただけのもので、実用雑器として作られたものだろう。室町時代の作とされる。

 そして今日でも、日本人は陶磁器に深い愛着を持ち続けている。土そのものの質感を生かしたものから、土の上に文様を刻んだもの、さらには色などを使い優美な図柄を描いたものまで、実に多種多様な陶磁器が存在し、それらが季節やシチュエーションに合わせて取り上げられ「もてなしの場」を彩る。使い手は、その姿を愛で手触りを楽しみ、それが内包する美しさを発見する。それを誰かと共有することで、ほのかに人と人が心を通わせたりもするのである。こうした日本人の陶磁器との極めてユニークな関係を、茶の湯というものの存在を抜きに語ることはできない。

 別の視点から侘び茶の影響を読み取れば、それは「精巧なもの、技術を凝らしたもの、先進的なものがよいとは限らない」ということだろう。その価値観があったからこそ、日本の陶磁器は、「新たな製法や様式が生み出されるとそれが古い製法や様式を置き換える」という工業製品的な発展過程はたどらなかった。古い製法、様式も、そこに美の存在がある限りは捨てられず、バリエーションの一つとして長い歴史の風雪を耐えて生き延びてきたのである。