米軍の「スポーツマンシップ」が持つ「爽快味」

 戦艦大和の沖縄特攻作戦についてはどなたもご存じと思う。大艦巨砲を誇った大和は、米空軍の猛爆撃を受け、戦艦同士で戦うことなく沈没した。戦争の主導権を左右する鍵が空戦に移っていたにも関わらず、巨大戦艦を建造し、しかも勝算がまるでない沖縄行きを命じた海軍は愚かだった、と現代の我々は理解している。もっとも『戦艦大和ノ最期』」によると、当の艦内で大和は批判の対象になっていた。

「世界ノ三馬鹿、無用ノ長物ノ見本―万里ノ長城、ピラミッド、大和」ナル雑言、「少佐以上銃殺、海軍ヲ救ウノ道コノホカニナシ」ナル暴言ヲ、艦内ニ喚キ合ウモ憚ルトコロナシ

 ただし一読して筆者が感銘を受けたのは、日本海軍の愚や大和の悲惨ではなく、米軍の合理的かつ勇敢な戦いぶりの方であった。大艦巨砲対大量空軍という、質量がまったく異なるもの同士の戦いなのだから、最初から空軍の勝ちに決まっていた。筆者はこう思っていたが、そうは言っても巨艦を沈めるのは簡単ではない。

 先に書いた通り、「艦内の見張、報告、命令を掌握する哨戒当直」の立場にあった吉田氏は米空軍の猛攻撃を以下のように描写し、「卓抜」と評した。

米編隊ハ不可避ナル一部ノ犠牲ヲ予メ計量シ、迂遠ナル弾幕回避方法ヲ棄テテ、マッシグラニ照準ノ「ベスト・コース」ヲ雪崩レ込ム
急降下来襲ノ戦闘機、爆撃機ハモトヨリ、緩降下態勢ノ雷撃機モ、投弾投雷ノタメ直進ヲ行ウヤ、横向快走シテ砲火ヲ避ケツツ近接銃撃ヲ敢行ス
マタ高度三千米ヨリ突入スル急降下ノ鉄則ヲ一擲シ、密雲ヲ利シテ臨機ノ短距離降下ニ切替エタル着眼ハ、卓抜トイウベキカ

 最短時間で大和を沈める「ベスト・コース」を、「不可避ナル一部ノ犠牲ヲ予メ計量」した上で決めた米軍はひたすら正確に攻撃を繰り返した。投雷投弾の時だけは一定距離を直進するが、すぐ向きを変え、「面詰セラルル如キ錯覚ヲ起ス」距離まで肉薄、銃撃を浴びせてから飛び去る。その俊敏な動きに、大和が装備していた対空砲はついていけず、「素手ニテ飛蝶ヲ追ウニ似タルカ」という状態であった。

砲火ニ射トメラルレバ一瞬火ヲ吐キ、海中ニ没スルモ、既ニ確実ニ投雷、投弾ヲ完了セルナリ
戦闘終了マデ、体当リノ軽挙ニ出ズルモノ一機モナシ
正確、緻密、沈着ナル「ベスト・コース」ノ反覆ハ、一種ノ「スポーツマンシップ」ニモ似タル爽快味ヲ残ス 我ラノ窺イ知ラザル強サ、底知レヌ迫力ナリ

 米軍の猛攻に耐えている最中にあって、「スポーツマンシップ」に似た「爽快味」を感じたとする記述にはいささか驚かされる。それほど米軍の攻撃が見事であったのだろう。当時、日本軍兵士の勇猛さはよく知られており、米軍も「我ラノ窺イ知ラザル強サ、底知レヌ迫力」を日本軍に感じていたかもしれないが、日本軍には「正確、緻密、沈着」な行動を繰り返す強さが欠けていた。それは、海軍にせよ、陸軍にせよ、戦況が悪化するとすぐに「体当リノ軽挙」に出たことに現れている。念のために付記するが、先人を批判するために本稿を書いている訳ではない。状況に応じて合理的な「ベスト・コース」を考え抜き、決定後は「正確、緻密、沈着」な行動を繰り返す「スポーツマンシップ」は、現代の我々にとっても課題である。