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人から人へ伝わる技ともの

『中川木工芸 比良工房』制作の使い桶。

 「職人の世界というのは、誰が作っても同じものができなければダメという世界。個性を消して、湯桶ならそのひとつの湯桶と一体化することが職人の本質だと思います。そう心がけることによって、品質を保ちながら後の時代につなげていくことができるんです。だから、僕は実際に祖父と一緒に仕事をすることはありませんでしたが、祖父の時代とまったく同じことを今も続けていけるわけです」

 中川周士は京都の桶屋の3代目だ。大学卒業後に父である清司の下で修行を始めてから18年、今年で40歳になる。

 技はどのように教わったのかと尋ねると、「見て覚えなさいという感じ。木を削って『こうや』って言われて、それだけで終わってしまう。最初のころは何を見たらいいのかもわかりませんでしたけど」と答える。父の清司も「私もこの子の祖父と並んで仕事をしていましたけど、理論的なことは聞いたことがないですね。これではダメだとか、もっと早くしろとか、急くなとか、そんなことは折をみて言われていましたけど」という。「木を押さえて削れば、まあできるわけです。道具はあるし、横でやっているのを見ながら自分もやってみて、できた、できん、と。まあそんな感じじゃないでしょうか」。

34年前に撮影された中川木工芸の工房の様子。左は初代・亀一61歳、右は二代・清司32歳の頃。

 「まあそんなような感じ」と清司は言う。だが、作り方を教えられることもなく、見様見真似で桶を作ることが容易であるはずがない。けれど、実際にこうして桶作りの技は中川家に伝えられてきた。

 「たとえば刃物を研ぐということは大事ですが、周士に対して刃先をどうしなさい、こうしなさいと言ったことはありません。ものを作る時に形容詞なんかはほとんど使うことがない」

 ただそこに砥石がある。刃物をコンコンと台から外して研ぐ。すると切れるようになった、あるいはまだ切れない。ではどうしたら切れるようになるのか。その繰り返しなのである。ただ、「このようにする」という「かたち」は決まっているのだと清司はいう。その通りにやらなければ切れるようにはならない。そのかたちを父は祖父から伝承し、それをまた息子に譲った。けれども、それとて手取り足取り伝えられたわけではない。

左は現在の二代・清司66歳、右は三代・周士40歳。

 「言葉ではない言葉、声なき声を伝えたんですね。言葉はとっても便利だけど、同時にすごく難しい。この仕事は総合的なもので、修行が終わったから一から十までできるというものではないんです。いくつになってもいい素材を探し続けて、もっといいものを作ろうと思い続ける。そんな心の持ちようまでを全部文章で表そうとしたら、とても長くて読めないでしょう。それ以前に、本当にこんな仕事を言葉で表現できるのかという問題もある。表現できたとしても、それが本当に伝わるかどうか。まあ、その困難さが分かるから、それなら見て覚えた方が早いということになるわけです」