私は、たまたまモルナールという当時の副社長に「あれだけ研究者を引き抜かれて、困るでしょう」と尋ねたところ、彼はこう答えました。「ベル研は私企業であって私企業でない。公的な性格を持っている。エレクトロニクスとコミュニケーションの最良のものを提供する使命を持っているのであって、研究者の養成という機能もまたその一つである。だから貴方のように、ここで学んで日本に帰ろうと、よその会社に移ろうとも、ベル研は構わない。去るものは追わず。優秀な若者がまた入ってくる。新陳代謝こそが技術革新の源泉なのだ」と。

 優れた研究所というのは、だれかがそれをやれと指示したわけでもなく、ただ卓越した研究者が突然に一つの関心を持ち始めて、その熱気に他のアクティビティが群がり、結果的に歴史的な偉業を成し遂げる、という事実を、ベル研は具現化していました。

——結果として、物性物理や半導体の分野では、多くの日本人研究者がベル研をはじめとする米国の研究機関で学んで帰国し、それからオリジナルな研究を始めて日本の底力を築いていったと思います。一方、日本のソフトウエアやインターネットの研究者は、オリジナリティという面では精彩を欠いているような気がしないでもありません。米国から技術を輸入することだけで高く評価されてしまった悪しき伝統があるのではないでしょうか。

 同感です。研究者にとってもっとも大事なことは、世界的に自分がどんな独創的な仕事をしたかということなのです。

 最初にお話ししたように、米国人の知識も日本人の知識もほとんど差はないのです。しかしこのことに気づくのには、何年もかけて必死に勉強をしなければなりません。こうしてオリジナリティを発揮できるようになるのですが、そこまで根気のない人は、米国の技術を輸入してきて皆に広めるという作業をしたほうがずっと楽なわけです。

 半導体物性の分野の研究者は、実際に根気よく勉強して来たわけで、だからこそ日本の半導体産業は世界に冠たるものになったのです。ソフトウエアの人たちも、オリジナリティをめざして努力をすべきです。

―― 次回へ続く ――

著者紹介

山口栄一(やまぐち・えいいち) 同志社大学大学院ビジネス研究科 教授,同大学ITEC副センター長,ケンブリッジ大学クレアホール・客員フェロー
1955年福岡市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業(1977年)、同大学院修士修了(1979年)。理学博士(1984年)。1979年、日本電信電話公社入社。米University of Notre Dame客員研究員(1984年-1985年)、NTT基礎研究所主任研究員・主幹研究員(1986年-1998年)、仏IMRA Europe招聘研究員(1993年-1998年)、21世紀政策研究所主席研究員・研究主幹(1999年-2003年)を歴任し、2003年より現職。科学技術振興機構 研究開発戦略センター特認フェロー(2006年~)、文部科学省トップ拠点形成委員会委員(2006年~)。 アークゾーン(1998年)、パウデック(2001年)、ALGAN(2005年)の3社のベンチャー企業を創業し、各社の取締役。近著に、『JR福知山線事故の本質―企業の社会的責任を科学から捉える』(NTT出版、2007年)『Recovering from Success: Innovation And Technology Management in Japan』(共著, Oxford University Press, 2006年)『イノベーション 破壊と共鳴』(NTT出版、2006年)など。研究室のWebサイトのURLは,http://www.doshisha-u.jp/~ey/

本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。