承前

鉄製大砲から始まるイノベーション・プロセス

ヘンリー8世が創設したトリニティ・カレッジの正門(左)と、中央に掲げられている彼自身の像(右)。後年の学生のいたずらにより、彼の手にしているのは、椅子の足。
ヘンリー8世が創設したトリニティ・カレッジの正門(左)と、中央に掲げられている彼自身の像(右)。後年の学生のいたずらにより、彼の手にしているのは、椅子の足。 (画像のクリックで拡大)

 前回までに鉄製大砲のパラダイム破壊性を述べてきた。これは、図3において、A→S→P→A* というプロセスとして表現できる。このプロセスで示すように、鉄製大砲は「パラダイム破壊型イノベーション」の要件を備えている。なぜなら、それ(A*)は、いったん青銅という確立したパラダイムを下りて(A→S)、銑鉄というヨーロッパでは未知のパラダイムに辿りつく(S→P)ことで初めて生まれたからである。当時の英国が、「貧しい、辺境の、遅れた」国だったからこそ、山を下りてちがう山に登ることができた。もちろんその「パラダイム破壊」を強引にも可能にしたのは、暴君ヘンリー8世の破天荒だった。

図3 「産業革命と英国の台頭」のイノベーション・ダイヤグラム

エリザベス1世。マダムタッソー蝋人形館にて
エリザベス1世。マダムタッソー蝋人形館にて (画像のクリックで拡大)

 いったん文化の低い国でパラダイム破壊技術が生まれても、スペインやフランスのような文化の高い国々はそれを馬鹿にして相手にしない。それでも度重なる海戦で、その射程距離の長さを見せつけられ、ようやく彼らもその実用性に気づく。そこで1574年、英国のエリザベス1世は鉄製大砲の輸出禁止令を出すなどして、その技術が先進国オランダに移転されないようにしたという。こうして1630年ころまで英国の鉄製大砲の性能は他の追随を許さないものとなった。この群の抜き方は、パラダイム破壊型イノベーション特有の現象である。