確かに、OKIには昔から「身の程知らず」的な傾向があったような気がする。私がOKIに入社した1984年当時は、電電四社(旧電電公社に製品を納入する大手通信機器メーカー4社)という言葉がまだ現役で、現に「OKIのライバルであり友人でもあるのはNEC、日立製作所、富士通の3社である」と新人研修でも教えられた。そして、「この4社が手掛ける事業はすべてOKIもやらねばならぬ」と信じていたようだ。一時は他の3社に負けじとメインフレーム事業までやっていたのである。

 けど、OKIと他の3社では企業規模も売上高もぜんぜん違う。可能な開発投資、設備投資の額が歴然と違うのである。でも、彼らがやるならうちもやる。当然、「何をやってもシェアは大抵3社より下」という構造ができあがる。半導体に限らず、多くの事業がこじんまりとして何だか中途半端だったのではないかと思うのである。

 それでも、事業参入当初は結構頑張っていたりする。確か、パソコンなども80年代前半は健闘していて、if(アイエフ)シリーズがシェアで上位にいたような時代もあった。半導体も『日経エレクトロニクス』のバックナンバーで調べてみると、1984年時点での生産高ランキングでは国内8位で、年間66%の伸びで7位をうかがう勢いだったようだ。ちなみに、ソニーやシャープより上位である。けど、パソコンもそうだけど、手掛けるのは早く創成期にはそこそこの位置を占めるのだが、参入メーカーが増え競争が激化してくるとじりじり順位を下げいき、ついには事業的にうまみのないポジションまで落ちてしまう。それがお決まりのパターンだったようだ。

任されて、やがて捨てられて

 これにも関連するかもしれないけれど、企業文化の問題を不振の要因として挙げている記事もかなりある。旧電電四社的な「親方日の丸」の体質が抜けきれないということだろう。確かに、私がいたころは、「おっとりして人がいい」という社風が濃厚に漂っていたような気がする。

 やはり新人研修を受けていたころ、各事業所を見学して回るという企画があった。その際、埼玉県にある某事業所にも行ったのだが、そこの生産ラインで大量に流れていたのは、A社のロゴが誇らしげに輝くファクスだったのである。そこで初めて「OEM」という商形態について学んだわけだが、A社もOEMに頼りながら市場を開拓し、同時に関連技術も吸収し学んでいったようだ。やがて自社設計、自社製造に乗り出し、数年後にはすべてを自社で設計、製造することになったのだという。これによって某事業所は、大きな収入源を失った。