「三屋清左衛門」を再評価してみる

 さて以上の文脈を踏まえたうえで,筆者なりに『三屋清左衛門残日録』をもう一度「評価」してみると,清左衛門は現役時代は,藩主の「用人」(藩主の側に仕えその命令を部下に伝えて折衝する役目の重臣)という立場で,様々な揉め事を処理してきたノウハウを持っていた。ものを顧客にとどけるといった生産性の向上効果ではないものの,組織の中の人の流れをスムーズにするという意味での,流れづくりのプロではあったのではないかと思われる。

 確かに「藩」という組織にとどまっているという限界はあるが,そのノウハウが隠居した後にも生かされているという面では,それはそれで一つの充実したリタイア後の生き方なのかもしれない。

 そしてこの小説は,リタイア後の人間がどう生きるべきかの理想を示しているようにも思うのである。それは例えば,男同士の好ましい友情であったり,現役の人々から少し離れたところに位置取りして人間としての普遍的な価値を示すという生き方であったりする。

 例えば,第一話で,清左衛門が幼馴染で現役の町奉行(佐伯)に頼まれて,ある女性が藩の都合で理不尽な目にあっていたのを助ける話が出てくる。難色を示していた藩の重役(山根)の屋敷に押しかけて説き伏せた後に,友人である町奉行と並んで帰る次のようなシーンで話を結んでいる(本書p.41-42)。

 二人は山根の屋敷から,真昼の道に出た。上士屋敷がならぶ町は,物音も聞こえず,道にひとの姿も見えず,森閑として春の日射しが照っているだけだった。どこからか花の香がただよってくる道を,二人はしばらく無言で歩いた。
「これで終わったかな」
 清左衛門がぽつりと言った。清左衛門は一人の女がようやく理不尽な束縛を脱して,どうにかひとなみのしあわせをつかんだらしいことを祝福したつもりだったが,佐伯は佐伯でべつのことを考えていたようである。
 勢いよく言った。
「終わった。山根どのといえども,邪(よこし)まに我意を通すことは許せぬ」
 隠居と働きざかりの町奉行とは,感想にも差が出たなと清左衛門は思った。

 こうした文章を読むと,筆者はそこに,江戸時代という時代をたまたま借りて,リタイア後の人間の一つの理想像を示そうとした著者の思いを感じてしまうのである。藤沢周平ファンというバイアスがそう思わせるのかもしれないが。