選択肢は両極しかないのか

 リタイア後の生き方が両極だということに関連して,東京大学ものづくり経営研究センター長の藤本隆宏氏が,『日経ものづくり』誌2008年5月号に興味深い文章を寄せている。同誌の「直言」というコラムに載せた,「大企業は社内に『ものづくり師範学校』を開設せよ」というタイトルの記事である。

 その記事の中で藤本氏は,ある企業の経営者の方と話していて,その企業が団塊世代の定年退職(2007年問題)に直面して,これはという人に雇用延長を打診しても,「私はもういいです」と会社から完全退職してしまうとぼやいていたというエピソードを紹介している。

 それに対して藤本氏は,その経営者にこう言ったのだという。「それはひょっとして,定年の皆さんに,(1)完全退職して週7日釣りをして暮らすか,(2)雇用延長で元の部下の下で週5日使われ続けるか---の二者択一を迫るからではないですか」(本誌p242)と。

 高いスキルを持っていながら現場から離れてしまう技術者を引き止める方法として藤本氏が提唱するのが,例えば,「ものづくりの管理・改善の先生」として,週3日後輩の指導にあたり,週4日を趣味三昧の生活をおくるという中間のオプションを用意することである。

「流れづくり」の先生になる

 藤本氏の指摘で重要だと思うのは,溶接道場や旋盤道場といった固有技術だけではなく,ものづくり技術を教育・伝承することである。「今相対的に足りないのは,個々の工程や技術をつなぎ,現場に付加価値を創造する流れをつくり出す,品質・生産性・納期の同時改善を指導できる『流れづくりの先生』である」(同p.242)。

 このくだりを読んでいて思い出したのは,藤本氏がある講演で,製造業の技術者には自動車技術や電子技術といった固有技術の鎧をかぶった方が多いと語っていたことである。そのような方に藤本氏は,「その鎧を脱いでみましょう。脱いだ後に残るのは何ですか?」と問いかけるそうだ(藤本氏の講演について書いたコラム)。

 藤本氏によると,脱いだ後に残るのが「ものづくり技術」である。「ものづくり」とは設計情報をある媒体に転写してお客のところまで流すことであり,「ものづくり技術」とはその流れを効率化するノウハウである。藤本氏がそれを指摘すると,固有技術にこだわる技術者ほど,「そんなことは技術でもないし当社の専門でもない。やらなかったら商売にならないから,やむを得ずやっているまでのことだ」と心外な顔で語るというのである。

 このことから考えられるのは,長年の会社生活を経て培われたスキルには,意識にのぼりやすい(目に見えやすい)もの(固有技術など)と,意識にのぼりにくい(目にみえにくい)もの(ものづくり技術など)の二種類があるということである。しかも後者の見えにくいスキルほど,実は製造業の生産性向上には欠かせない重要なものである。さらに製造業だけなくサービス産業など他の産業に適応することによって生産性が上がるという面もある。リタイア後の人生を考える際にも,こうした意識にのぼりにくく目に見えにくいスキルにも光を当てることが大切かもしれない。それには,本人の自覚と共に,周りの理解が必要であろう。