リタイア後を楽しんだのは農民・商人

 実はこのコラム「江戸時代のリタイア後人生」は,『「超」リタイア術』(野口悠紀雄著,新潮文庫)という本の一部を抜粋したものだ。残りの部分に興味がわいたので,さっそく購入して読んでみた。内容としては「リタイア」の話というよりは年金制度についての記述が中心であったが,「江戸時代」についての考察の続きで筆者が面白いと思ったのは,農民や商人の階級と武士階級を対比させている部分である。リタイア後に充実した人生を送っていたのは武士階級ではなく,農民や商人だったというのである。

 野口氏はこのような違いが生じた原因は,「農民や商人は『自営業』で自立していたのに対して,武士は『藩』という巨大組織の中で相互依存的に生きる『組織人』だった点ある」(本書p.75)と見る。

 そして,野口氏が「江戸時代の武士は隠居生活を楽しんでいなかった」という見方をする一つの例として示したのが,藤沢周平の小説『三屋清左衛門残日録』であった。この小説は,三屋清左衛門というある東北の小藩で順調に出世して藩の要職を勤めた後に円満に隠居した老人が自らの隠居生活を日記風に書き記すという話だ。

 実は筆者は,藤沢周平の小説が好きで,主要作品は繰り返し読んでいる。さっそく,本棚で埃をかぶっていた『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)を引っ張り出して,再読してみた。読み返してみて気付いたのだが,三屋清左衛門が隠居した歳が52歳なのであった。筆者はそれまで清左衛門は60歳過ぎの老人だと漠然と思っていた。

 52歳といえば,筆者と同じ年齢ではないか。清左衛門と同じ歳になったからだろうか。40歳代のときに読んだときよりは清左衛門の境遇や心情が理解できるような気がした。清左衛門は,49歳のときに妻が死んだこともあって勤めに疲れ果てて隠居の決心をした。隠居するまでは悠々自適の晩年を夢想していたのだが,その3年後に実際に隠居したときに襲ってきたある喪失感に戸惑うのである。例えば,こんなくだりだ。

 「清左衛門が思い描いている悠々自適の暮らしというのは,たとえば城下周辺の土地を心ゆくまで散策するというようなことだった。散策を兼ねて,たまには浅い丘に入って鳥を刺したり,小川で魚を釣ったりするのもいいだろう。記憶にあるばかり久しく見る機会もなかった白い野ばらが咲きみだれている川べりの道を思いうかべると,清左衛門の胸は小さくときめいた。ところが,隠居した清左衛門を襲って来たのは,そういう開放感とはまさに逆の,世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。」(本書p.13)

「空白感」を真に埋めたものとは

 清左衛門を襲った「自閉的な感情」の正体とは,長年勤めていた藩の要職から離れたことによる空白感である。清左衛門はこの空白感を埋めるために,散歩をしたり,剣道の道場や漢書の塾に通ったりする。しかし,清左衛門の空白感を本当の意味で埋めたのは,藩に所属する友人や知人から持ち込まれる揉め事の相談事にのることなのであった。

 筆者としては,藤沢ファンということもあり,清左衛門がむしろ隠居という立場を生かして藩の揉め事をうまく解決するあたりにしみじみとした味わいを感じてしまうのだが,野口氏は,『「超」リタイア術』の中で,清左衛門の生き方に対して「どうしようもない寂寥感とやりきれなさを感じる」と批判的である。そして,「現代サラリーマン諸氏にも,退職後も会社時代の同僚と付き合う人が多いといわれるが,その原型がここに見られる」とみるのである。(本書p.70)。

 武士階級がこうして現役時代もリタイア後も骨がらみに藩という大組織にどっぷり浸かって生きていたのに対し,農民や商人は比較的所属する組織が小さかったこともあって,その外の世界と接する機会が多かったということのようだ。野口氏は,庄屋として多忙な仕事をこなしつつ,生花,菊作り,俳句など多彩な趣味を持っていたある農民の例を挙げている。

 農民や商人の一部の層が,充実したリタイア後の人生を送っていたのは,現役時代に遡って余暇の使い方が上手いからであり,それはつまるところ,仕事にやりがいを持っていたことが理由のようだ。これに対して,武士は仕事にやりがいを持っていなかったために,現役時代の余暇の過ごし方も,リタイア後の過ごし方も貧弱だったと野口氏は考察していく。

 「時間さえあれば余暇や退職後を充実できるかというと,そうではないのである。やりがいのある仕事に恵まれ,それが順調に進んで生き生きとしている人ほど,自由時間を充実して使える。自由時間と仕事時間は別のものではなく,密接に関連している」(本書p.79)。